タクボンのお遍路日記

2016年、車で逆打ちで遍路。2017~2018年、休日歩き遍路で結願した時の記録を残しています

お遍路情報と歩き遍路まとめ

1番からの通しでなく、バラバラに回っているので、もくじ的なページを作ってみました。
ページは随時更新していきます。

役立ちリンク集

↓リニューアルされて、役に立つ情報が満載になってます

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徳島バス:路線バス情報 | 徳島バス株式会社:徳島市周辺

http://asatetu.com/:23番 薬王寺→24番 最御崎寺

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土佐くろしお鉄道株式会社 TOSA KUROSHIO TETSUDO (Railway)

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宇和島自動車株式会社 宇和島バス:愛媛 南予

伊予鉄道株式会社:IYOTETSU:愛媛 中予

伊予鉄南予バス株式会社:久万高原町周辺

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歩き遍路の記録

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  1. 1番 霊山寺→2番 極楽寺→3番 金泉寺→4番 大日寺→5番 地蔵寺→別格1番 大山寺→6番 安楽寺

    距離: 20.89 km

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  2. 安楽寺 駐車場→7番 十楽寺→8番 熊谷寺→9番 法輪寺→10番 切幡寺→11番 藤井寺安楽寺 駐車場
    距離: 33.46 km

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  3. 藤井寺 駐車場→長戸庵→柳水庵→浄蓮庵→12番 焼山寺→杖杉庵→別格2番 童学寺→JR下浦駅
    移動距離:34.03km

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  4. 別格2番 童学寺→13番 大日寺→14番 常楽寺→15番 国分寺→16番 観音寺→17番 井戸寺→18番 恩山寺→19番 立江寺→JR立江駅
    移動距離:40.65km

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  5. 19番 立江寺→別格3番 慈眼寺→ふれあいの里 さかもと
    距離: 27.11 km

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  6. 鶴林寺 登山道入口→20番 鶴林寺→21番 太龍寺→22番 平等寺→JR阿波福井駅
    距離: 24.42 km

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  7. JR阿波福井→23番 薬王寺
    距離: 31.00 km

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  8. 23番 薬王寺→別格4番 鯖大師→JR海部駅
    距離 29.03 km

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  9. 海部駅→佐喜浜港上(高知東部交通)
    移動距離:31.38km

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  10. 佐喜浜港上→24番 最御崎寺→25番 津照寺→26番 金剛頂寺→道の駅 キラメッセ室戸
    移動距離:31.19km

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  11. 道の駅 キラメッセ室戸→唐の浜東(高知東部交通)
    移動距離:23.85km

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  12. 唐浜駅→27番 神峯寺→赤岡駅
    移動距離:36.26km

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  13. 赤岡駅→28番 大日寺→29番 国分寺→30番 善楽寺→31番 竹林寺→32番 禅師峰寺→池通技術学校前
    移動距離:35.73km

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  14. 池通技術学校前→33番 雪蹊寺→34番 種間寺→35番 清瀧寺→宮前スカイライン入口

    移動距離: 32.64km

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  15. 竜→36番 青龍寺→別格5番 大善寺→JR土佐久礼駅
    移動距離:29.31km 

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  16. JR土佐久礼駅→37番 岩本寺→土佐くろしお鉄道 土佐佐賀駅
    移動距離:40.01km 

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  17. 土佐くろしお鉄道 土佐佐賀駅→高知西南交通 大文字前(バス停)
    移動距離:28.91km 

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  18. ヘンロ小屋 54号 四万十→38番 金剛福寺
    移動距離:35.35km

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  19. 高知西南交通 市野瀬→土佐くろしお鉄道 平田駅
    移動距離:22.35km

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  20. 土佐くろしお鉄道 平田駅→39番 延光寺→40番 観自在寺→宇和島自動車 南レク御荘公園前
    移動距離:30.6km

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  21. 南レク御荘公園前→別格9番 龍光院→宇和島駅
    移動距離: 39.66 km 

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  22. JR宇和島駅→別格6番 龍光院→41番 龍光寺→42番 仏木寺→43番 明石寺→JR上宇和駅
    距離: 28.53 km 

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  23. JR上宇和駅→別格7番 出石寺→JR西大洲駅
    距離: 39.70 km

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  24. JR伊予平野駅→別格8番 十夜ヶ橋→JR内子駅
    距離: 17.85 km 

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  25. JR内子駅→44番 大寶寺[16:15]→JRバス 久万中学前
    距離: 37.21 km 

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  26. ふるさと村→45番 岩屋寺→46番 浄瑠璃寺
    距離: 34.1 km 

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  27. 46番 浄瑠璃寺→47番 八坂寺→別格9番 文殊院→48番西林寺→49番 浄土寺→50番 繁多寺→51番 石手寺
    移動距離 23.9km 

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  28. 52番 太山寺→53番 円明寺→JR伊予北条駅
    移動距離:23.27km 

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  29. JR伊予北条駅→JR大西駅
    移動距離:23.11km 

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  30. JR大西駅→54番 延命寺→55番 南光坊→56番 泰山寺→57番 栄福寺→58番 仙遊寺→59番 国分寺→JR伊予桜井
    移動距離:25.6km 

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  31. JR伊予桜井→別格10番 西山興隆寺→別格11番 生木地蔵→大頭(せとうちバス)
    移動距離:23km 

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  32. 大頭→60番 横峰寺→石鎚神社 成就社
    移動距離:18.9km 

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  33. 石鎚神社 成就社→頂上社→氷見(せとうちバス)
    移動距離:24.8km 

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  34. JR伊予小松駅→62番 宝寿寺→61番 香園寺→63番 吉祥寺→石鎚神社 口之宮→64番 前神寺→JR中萩駅
    移動距離:20.9km 

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  35. JR中萩駅→別格12番 延命寺→JR伊予三島駅
    移動距離: 29.7km 

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  36. JR伊予三島駅→65番 三角寺→別格13番 仙龍寺→別格14番 椿堂→JR阿波池田駅
    移動距離:40.31km

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  37. JR箸蔵駅→別格15番 箸蔵寺→66番 雲辺寺→別格16番 萩原寺→67番 大興寺→JR観音寺駅
    移動距離:41.46km

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  38. JR観音寺駅→68番 神恵院・69番 観音寺→70番 本山寺→71番 弥谷寺→JR海岸寺駅
    移動距離:22.46km 

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  39. JR海岸寺駅→別格 18番 海岸寺→72番 曼荼羅寺→73番 出釈迦寺→74番 甲山寺→75番 善通寺→別格17番 神野寺→JR塩入駅
    移動距離:25.03km 

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  40. JR善通寺駅→76番 金倉寺→77番 道隆寺→78番 郷照寺→79番 天皇寺→80番 国分寺→JR国分駅
    移動距離:27.24km 

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  41. JR国分駅→81番 白峯寺→82番 根香寺→別格19番 香西寺→83番 一宮寺→琴電 瓦町
    移動距離:31.9km

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  42. 瓦町→84番 屋島寺→85番 八栗寺→86番 志度寺→87番 長尾寺→琴電 長尾駅
    移動距離:26.23km

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  43. 87番 長尾寺→別格20番 大瀧寺→塩江
    移動距離:32.01km

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  44. 多和小学校前→88番 大窪寺→讃岐相生駅
    移動距離:29.8km

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  45. 讃岐相生駅→1番 霊山寺
    移動距離:16.34km

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新四国曼荼羅 88番、21番 奥の院 黒滝寺

新四国曼荼羅霊場第88番札所 
第21番太龍寺 奥の院

山号:龍王山
宗旨:古義真言宗
宗派:高野山真言宗
本尊:十一面観音
御詠歌:うす雲に はるかに見ゆる 黒滝寺 瑠璃の岩間に 出(いづ)る加持水
住所:徳島県那賀郡那賀町阿津江字黒滝山5

旧木沢村の黒滝山山上、標高約760mの地点にあり、山岳仏教発祥の地と伝えられている。
寺伝によれば、延暦12年(793年)空海(弘法大師)が太龍ヶ嶽(現在の太龍寺)で修行中、神童(神龍とも伝えられる)が現れ「那賀川上流にある黒滝山で大龍が暴れ、人々を苦しめている」と告げた。
空海は那賀川を遡り、黒滝山を間近にしたところで一夜を明かした。
ここで虚空蔵菩薩を刻み小堂を建てた。空海はこの地を祈祷名と名付け、後に木頭名と呼ばれるようになったと言われる。
黒滝山上に登った空海は山上の湖に棲む大龍を前に十一面観音を刻み降伏退散の調伏を行った。これにより大龍は湖を出て竜王淵へ退散した。
降伏した大龍は空海に「閼伽井の水」という泉を贈った。
これが当寺の開創と伝えられている。境内には現在もこの霊水が湧き出しており、これを飲むと苦難や難病に効くと言い伝えられている。

戦国時代には、この地の豪族であった細川貞光が寺院周辺に砦を築いた。
また、当時の寺院には僧兵がおり山上は要塞化していた。天正10年(1582年)四国制覇を目指す長宗我部元親の阿波進攻の際に、ここを攻撃し寺院は砦とともに焼亡したと伝えられている。
この時、境内にあった池は僧兵や兵士の血で真っ赤に染まったと言われる。この池は現在、地形の変化により干上がっており湖跡庭園となっている。

江戸時代前期の元禄元年(1688年)快弁により寺院が再興された。再興の日が8月17日と伝えられており、快弁は当日、完成を祝って踊ったと言われる。
これを祝して毎年8月17日には「黒瀧まつり」が催され柴燈護摩が焚かれ、快弁が伝えたという黒瀧寺踊りが行われる。
現在見られる建物は、享保元年(1716年)から昭和31年(1956年)に建てられたものである。

黒滝寺までの道は、細い山道をかなりの距離走る事になります
こんな山奥に霊場があるのかと思うくらいの山奥です

着いてみると、広い境内に、結構立派な建物があります

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山門f:id:prodigal04:20200621091849j:image
一段高いところに本堂f:id:prodigal04:20200621091856j:image
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大師堂f:id:prodigal04:20200621091846j:image
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新四国曼荼羅霊場の御朱印f:id:prodigal04:20200624101652j:image

新四国曼荼羅 72番 妙法寺

新四国曼荼羅霊場 72番札所 

山号:宝珠光明山
宗派:真言宗御室派
本尊:阿弥陀如来
住所:徳島県名西郡神山町上分江田1206

創建年は不詳。
普寂が中興したと伝わる。
雨乞いの寺として知られており、境内には強い水脈がある。新四国曼荼羅霊場の札所であり、毎年4月15日には曼荼羅祭が開催される

73番 上一宮大粟から72番 妙法寺まで来るので行く場合、細い山道を走る事になります

本堂

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新四国曼荼羅霊場の御朱印f:id:prodigal04:20200624101625j:image

12番 奥の院 蔵王大権現

新型コロナウィルス対策による県をまたぐ移動の自粛が解除された事もあり、焼山寺の奥の院へ

奥の院は、焼山寺山頂上 (標高938m)にあります
本堂とは約300mの高低差
行き方がよく分からなかったので、納経所で訪ねると丁寧に教えてくれました
また、安全確認のために名前も聞かれました。
戻ってきたら、名前を言うようにとの事
この調子だと、何も言わずに奥の院に行って、納経所で奥の院の御朱印を頂こうとすると怒られるような・・・
道順を聞いといて良かった

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本堂の一段下の食堂の角を左折f:id:prodigal04:20200621092535j:image
宿坊らしき建物の横を抜け、左下に下りる坂を下ります
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登りのアスファルトの道と合流して、そのまま直進f:id:prodigal04:20200621092647j:image
雪かき用のトラクターを保管している建物の横を抜けて登り坂に進みますf:id:prodigal04:20200621092658j:image
ココから奥の院まで、1,100mf:id:prodigal04:20200621092557j:image
コンクリート舗装からすぐに山道に変化しますf:id:prodigal04:20200621092516j:image
広葉樹の落ち葉が積もって、意外に滑るf:id:prodigal04:20200621092541j:image
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道には「アカマツ」「ソヨゴ」など木の名前が書かれた立て札がありましたが、
どうも、この立て札、道標になっているようです
道が少し分かり難くなっている場所も、立て札を探せば正しい道が分かりました
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大蛇封じ込めの岩の標識
ココで約半分f:id:prodigal04:20200621092654j:image
大蛇封じ込めの岩
弘法大師は、神通力を持ち火を吐いて村人を襲う大蛇がこの山に棲んでいることを聞き退治に向かった。
大蛇は全山に火を放って妨害したので摩盧(水輪)の印を結びながら進むと、山頂の岩窟に閉じこもって抵抗した。
そこで虚空蔵菩薩や三面大黒天に祈願するととうとう大蛇を岩窟の中に封じ込めることができたf:id:prodigal04:20200621092651j:image
残り半分、奥の院に向かいます
落ち葉は少なくなって歩きやすくなるf:id:prodigal04:20200621092638j:image
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竜王窟と奥の院の分岐
奥の院へは、折り返して登りますf:id:prodigal04:20200621092702j:image
ココには木の名前の立て札は無かったが、遍路道の道標があったので迷う事は無かったf:id:prodigal04:20200621092644j:image
勾配がキツくなってくるf:id:prodigal04:20200621092523j:image
杖立権現の祠←奥の院ではありません
『奥の院』の標識の横の矢印を見逃すと間違える可能性大
納経所の方も間違える人がいると言っていたf:id:prodigal04:20200621092504j:image
ココからは勾配は緩くなるf:id:prodigal04:20200621092705j:image
尾根沿いを進む
道の両側は絶壁ですf:id:prodigal04:20200621092641j:image
最後の急勾配の上り坂の上に、奥の院の建物が見えてきたf:id:prodigal04:20200621092520j:image
12番 焼山寺 奥の院 蔵王大権現の祠f:id:prodigal04:20200621092712j:image
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奥の院からの眺め
かなり高いところまで登ってきたのが、よく分かるf:id:prodigal04:20200621092554j:image
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焼山寺の納経所で奥の院の御朱印を頂きました
歩き遍路の時、番外札所用の納経帳を持ち歩いてなかったので、柳水庵、一本杉庵の御朱印も頂こうと思っていたのですが、参拝当日にしか押さないとの事で頂く事は出来ませんでした
4番と12番の納経所は、一人1冊しか御朱印をしないので、有名ですが、当日しか押してくれないとは・・・

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新四国曼荼羅 73番 上一宮大粟神社

新四国曼荼羅霊場73番 

御祭神:大宜都比売命
住所:徳島県名西郡神山町神領字西上角330

社伝によれば、大宜都比売神が伊勢国丹生の郷(現 三重県多気郡多気町丹生)から馬に乗って阿波国に来て、この地に粟を広めたという。

『延喜式神名帳』に記載される式内大社「阿波国名方郡 天石門別八倉比賣神社」の論社の一つである。天石門別八倉比賣神社は神亀5年(728年)に聖武天皇の勅願所となり、元暦2年(1185年)には正一位の神階を授けられた。平安時代には、現在の徳島市一宮町に当社の分祠として一宮神社が創建された。

明治3年(1870年)、社名を「埴生女屋神社」と改められたが、氏子の請願により、明治28年(1895年)に現在の上一宮大粟神社となった。

さすが元一宮、鳥居がでかい
小さな集落なので、一際目立っていた
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鳥居と山門
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山門を抜けた参道の奥に拝殿が見える
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拝殿
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御朱印は、ココでは無く、72番 妙法寺で頂きます
近くの霊場の納経所に貼られていた通達
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妙法寺で頂いた新四国曼荼羅霊場の御朱印f:id:prodigal04:20200624101528j:image

11番 奥の院

第11番 藤井寺 奥の院

本尊:大日如来

藤井寺から焼山寺へ向かう遍路道f:id:prodigal04:20200621093430j:image

遍路道に入ると、すぐにミニ八十八ヶ所が始まる
歩き遍路の時は、日が明ける前の薄暗い中を歩いたので奥の院がある事に全く気が付かなかったf:id:prodigal04:20200621093440j:image

ここから伊予国f:id:prodigal04:20200621093437j:image

50番 繁多寺を越えたところで広くなっている所がある
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そこのあるのが奥の院f:id:prodigal04:20200621093433j:image
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辺りは小さな滝になって景色が綺麗f:id:prodigal04:20200621093444j:image

御朱印は藤井寺で頂けるf:id:prodigal04:20200624101457j:image

71番 報恩寺

新四国曼荼羅霊場71番札所
阿波西国三十三観音霊場29番札所

山号:速成山
宗派:真言宗御室派
本尊:愛染明王
住所:徳島県吉野川市鴨島町飯尾728

創建は平安時代。
境内には鎌倉時代末期から室町時代初期にかけて建てられた板碑があり、1981年(昭和56年)12月1日に吉野川有形文化財に指定された。

報恩寺境内のイチョウの木の横にある五輪の塔には、室町時代に足利義政に仕えた飯尾常房の墓がある。

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新四国曼荼羅霊場の御朱印f:id:prodigal04:20200624101409j:image

10番 奥の院 八祖大師

10番切幡寺 奥の院 八祖大師 

「八祖大師」とはインドから中国を経て日本へと密教を伝えた正統の八人の祖師のこと

第一祖 龍猛菩薩(りゅうみょうぼさつ)
 大乗仏教の大学者で、真言密教の奥義を感得したと伝えられる高僧。

第二祖 龍智菩薩(りゅうちぼさつ)
 龍猛菩薩より密教を相承したといわれ、金剛智三蔵に七年にわたって
 真言密教の奥義を伝えた。

第三祖 金剛智三蔵(こんごうちさんぞう)
 中インドに王子として生まれ、玄宗皇帝に国師と仰がれ真言密教の儀式を伝える。
 金剛智訳とされる経典が現存する。

第四祖 不空三蔵(ふくうさんぞう)
 金剛智三蔵の弟子として二十五年間仕える。三代皇帝の国師と仰がれる。

第五祖 善無畏三蔵(ぜんむいさんぞう)
 東インドの王子として生まれ王位を継ぐが出家。
 真言密教の根本経典である「大日経」を翻訳した。

第六祖 一行阿闍梨(いちぎょうあじゃり)
 唐代屈指の学問僧といわれ、金剛智三蔵より「金剛頂経」系の密教を受け継ぐ。

第七祖 恵果阿闍梨(けいかあじゃり)
 弘法大師の師にあたる中国人僧。
 貞元(じょうげん)二十一年(805)で病に倒れると、
 弘法大師に法を伝えることにして灌頂を授けた。
 大師はこれを日本に伝え真言宗を開いたと云われる。

第八祖 弘法大師

本堂の左側を通り大塔の方へ登っていく

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途中、不動堂がある
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大塔f:id:prodigal04:20200621094022j:image
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大塔の前を通り抜け奥に進むf:id:prodigal04:20200621093941j:image

奥の院への道標f:id:prodigal04:20200621094017j:image

獣除けの柵を抜けて進むf:id:prodigal04:20200621093958j:image
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少し登ったところに八祖大師の祠があるf:id:prodigal04:20200621094010j:image
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奥の院の内部f:id:prodigal04:20200621093955j:image
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御朱印は切幡寺の納経所で頂けるf:id:prodigal04:20200624101434j:image

76番 観音院

新四国曼荼羅霊場第76番
阿波西国三十三観音霊場第6番 

山号:雲龍山
宗派:高野山真言宗
本尊:十一面観世音菩薩
住所:徳島県板野郡藍住町奥野字猪熊96

神亀6年(729年)、勝道上人によって創建。勝道上人が諸国巡錫の際に聖徳太子の仏法興隆の霊告をうけて建立したとされる。

また大同年間、空海が阿波国ではじめて観音院で土砂加持秘法を行ったと云われている。

神仏習合の名残が色濃く残る全景

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観音院の山門f:id:prodigal04:20200621094527j:image

本堂f:id:prodigal04:20200621094449j:image
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三宝大荒神参道f:id:prodigal04:20200621094524j:image
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境内は紫陽花が見ごろf:id:prodigal04:20200621094459j:image
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拝殿f:id:prodigal04:20200621094456j:image

厄流し所f:id:prodigal04:20200621094453j:image

惣助たぬき祠f:id:prodigal04:20200621094443j:image

川崎大権現f:id:prodigal04:20200621094507j:image

奥殿f:id:prodigal04:20200621094514j:image
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新四国曼荼羅霊場の御朱印f:id:prodigal04:20200624101343j:image

筑前国 一之宮 住吉神社

筑前国 一之宮
祭神は次の5柱。これら5柱をして「住吉五所大神」とも総称される。
主祭神【住吉三神】:底筒男命・中筒男命・表筒男命
配祀神:天照皇大神・神功皇后

福岡市中心部、かつて比恵川と那珂川の河口、冷泉津に突き出る形で鎮座しており、航海守護神の住吉三神を祀る神社である。
全国には住吉神社が2,000社以上分布し、一般には大阪の住吉大社がその本社とされるが、同社の『住吉大社神代記』には住吉三神は筑紫大神と記されているため、当社が全ての住吉神社の始祖である。
古代には他の住吉神社とともにヤマト王権の国家的航海神として崇敬され、中世からは筑前国の一宮に位置づけられたほか、領主・一般民衆からも海にまつわる神として信仰された古社になる。

古事記に登場する伊弉諾大神(イザナギノオオカミ)の禊祓(みそぎはらえ)によってこの住吉三神が生まれたことで、浄化の神として、私たちの心身の浄化と開運の恵みがご神徳とされています。

 

住吉橋を渡って進むと天津神社が見えてくる。

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伊弉諾大神が禊払いをした池といわれてる「天竜池」。
かつてこの地まで満潮時の海が押し寄せていたという言い伝えからきている。
そしてアーチ型の小さい橋を渡るとその向こうに「天津神社」がひっそりと佇んでいる。

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天津神社 祭神:伊弉諾大神
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天竜池を抜けると住吉神社の西門
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参道の途中に少彦名神社がある。
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少彦名神社 祭神:少彦名命
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神門
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本殿と拝殿
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本殿は、江戸時代前期の元和9年(1623年)の福岡藩主黒田長政による造営。
様式は「住吉造(すみよしづくり)」と称される独特のもので、大阪の住吉大社とも共通する。住吉大社本殿は4棟でこちらは1棟であるが、造営年代は住吉大社本殿(1810年造営)より大きく先行する。
形式は桁行(奥行)4間・梁間(間口)2間の切妻造で、屋根は檜皮葺。屋根やそれに付す破風・千木・堅魚木3本が直線的であるという点は、古制を反映するという。柱は朱色、板壁は白色で彩る。この住吉造は、神明造・大社造などとともに仏教渡来以前に遡りうる古代日本の建築様式とされ、ヤマト大王の住居の様式とする説もある。
この本殿は国の重要文化財に指定されている。
改築・修理する御遷宮が25年ごとに行われている。
本殿前に建てられている拝殿は、入母屋造で、屋根は銅板葺。

古代力士像
f:id:prodigal04:20200310095314j:image古代の力士をかたどった像。博多人形師の中村信喬・弘峰親子の合作。右手のシワの形が力という漢字に見える事から、その手に触れると力をもらえると云われている。

本殿の左に並ぶ摂社と末社

菅原神社(天満宮) 祭神:菅原道真
学問上達

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人丸神社 祭神:柿本人麿
芸能上達

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志賀神社(しがじんじゃ) 祭神:綿津見三神
金運上昇・航海安全

f:id:prodigal04:20200310095257j:image社の前の小判は、志賀大神を氏神とする豊の国(大分県)久住の志賀氏が宝籤に当籤した事を報恩感謝し、ご参拝の皆様にも「福」が授けられる事を願い、住吉神社の摂社である志賀神社に奉納建立したもの。

船玉神社(ふなたまじんじゃ) 祭神:猿田彦命
旅行安全・道開き

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稲荷神社 祭神:宇賀乃魂
商売繁盛

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南門の方に進むと、能楽殿・相撲場・三日恵比須神社があります。

三日恵比須神社 祭神:恵比須大神
笑門来福

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御朱印

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筑前国 一之宮 筥崎宮

筑前国 一之宮
主祭神:応神天皇・神功皇后・玉依姫命

筥崎宮は筥崎八幡宮とも称し、宇佐、石清水両宮とともに日本三大八幡宮に数えられる。 御祭神は筑紫国蚊田(かだ)の里、現在の福岡県宇美町にお生まれになられた応神天皇(第十五代天皇)を主祭神として、神功皇后、玉依姫命がお祀りされている。創建の時期については諸説あり断定することは困難だが、古録によれば、平安時代の中頃である延喜21年(西暦921)、醍醐(だいご)天皇が神勅により「敵国降伏」(てきこくこうふく)の宸筆(しんぴつ)を下賜され、この地に壮麗な御社殿を建立し、延長元年(923)筑前大分(だいぶ)宮(穂波宮)より遷座したことになっている。
創建後は祈りの場として朝野を問わず篤い崇敬を集めるとともに、海外との交流の門戸として重要な役割を果たした。
鎌倉中期、蒙古(もうこ)襲来(元寇)のおり、俗に云う神風が吹き未曾有の困難に打ち勝ったことから、厄除・勝運の神としても有名。
後世は足利尊氏、大内義隆、小早川隆景、豊臣秀吉など歴史に名だたる武将が参詣、武功・文教にすぐれた八幡大神の御神徳を仰ぎ筥崎宮は隆盛を辿った。
江戸時代には福岡藩初代藩主黒田長政、以下歴代藩主も崇敬を怠ることはなかった。
明治以降は近代国家を目指す日本とともに有り、同18年には官幣中社に、大正3年には官幣大社に社格を進められ、近年では全国より崇敬を集めるとともに、玉取祭や放生会大祭などの福博の四季を彩る杜(もり)として広く親しまれている。
 
地下鉄 箱崎宮駅から地上に出たところにある案内看板f:id:prodigal04:20200306212240j:image
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二の鳥居
f:id:prodigal04:20200306212225j:image博多湾からは本殿まで長大な参道が続く。参道の手前の箱崎浜一体は、以前は白砂青松とうたわれた美しい海岸線を誇っていたが、博多港修築により1936年には護岸整備され、現在では北側に箱崎埠頭、南側に東浜埠頭と博多港の倉庫などの施設が並び姿を一変させている。
一の鳥居
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一之鳥居は慶長14年(1609)、藩主黒田長政が建立したとその銘にある。この鳥居の柱は三段に切れ、下肥りに台石に続いている。笠木島木(かさぎしまぎ)は1つの石材で造られ、先端が反り上がり、貫と笠木の長さが同じ異色の鳥居であり、「筥崎鳥居」と呼ばれてる。
 
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楼門
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文禄3年(1594)筑前領主小早川隆景が建立、三間一戸入母屋造(さんけんいっこいりもやづくり)、檜皮葺(ひわだぶき)、建坪はわずか12坪であるが、三手先組(みてさきぐみ)といわれる枡組によって支えられた、83坪余りの雄大な屋根を有した豪壮な建物。
「敵国降伏」の扁額(へんがく)を掲げていることから伏敵門とも呼ばれている。
扉の太閤桐の紋様彫刻は江戸時代の名匠左甚五郎の作と伝わっている。

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お潮井
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参道の先の海岸は清めの真砂(まさご)を貰い受ける「お汐井とり」が行なえるよう砂地が整備されている。
 
湧出石
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筥松
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楼門の右手の朱の玉垣で囲まれる松の木。
神功皇后が応神天皇を出産した際、胞衣(えな)を箱に入れてこの地に納め、印として植えられたのがこの「筥松」と言われる。「筥崎(箱崎)」の名称はこの胞衣を納めた箱に由来する。
 
御朱印
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