タクボンのお遍路日記

2016年、車で逆打ちで遍路。2017~2018年、休日歩き遍路で結願した時の記録を残しています

お遍路情報と歩き遍路まとめ

1番からの通しでなく、バラバラに回っているので、もくじ的なページを作ってみました。
ページは随時更新していきます。

役立ちリンク集

↓リニューアルされて、役に立つ情報が満載になってます

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JR四国:時刻表・運賃・列車編成 | JR四国:四国全般

路線バス|ジェイアール四国バス:四国全般

徳島バス:路線バス情報 | 徳島バス株式会社:徳島市周辺

http://asatetu.com/:23番 薬王寺→24番 最御崎寺

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とさでん交通株式会社:高知周辺

路線バス|高知西南交通:中村周辺

土佐くろしお鉄道株式会社 TOSA KUROSHIO TETSUDO (Railway)

四万十くろしおライン時刻表:http://docs.wixstatic.com/ugd/06d37b_87ad45ad31814e068c4b8fa85a34c187.pdf:宿毛周辺

宇和島自動車株式会社 宇和島バス:愛媛 南予

伊予鉄道株式会社:IYOTETSU:愛媛 中予

伊予鉄南予バス株式会社:久万高原町周辺

瀬戸内運輸株式会社:愛媛 東予

香川の駅の駐車場情報:https://www.pref.kagawa.lg.jp/kotsu/park.html

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装備など

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歩き遍路の記録

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  1. 1番 霊山寺→2番 極楽寺→3番 金泉寺→4番 大日寺→5番 地蔵寺→別格1番 大山寺→6番 安楽寺

    距離: 20.89 km

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  2. 安楽寺 駐車場→7番 十楽寺→8番 熊谷寺→9番 法輪寺→10番 切幡寺→11番 藤井寺安楽寺 駐車場
    距離: 33.46 km

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  3. 藤井寺 駐車場→長戸庵→柳水庵→浄蓮庵→12番 焼山寺→杖杉庵→別格2番 童学寺→JR下浦駅
    移動距離:34.03km

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  4. 別格2番 童学寺→13番 大日寺→14番 常楽寺→15番 国分寺→16番 観音寺→17番 井戸寺→18番 恩山寺→19番 立江寺→JR立江駅
    移動距離:40.65km

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  5. 19番 立江寺→別格3番 慈眼寺→ふれあいの里 さかもと
    距離: 27.11 km

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  6. 鶴林寺 登山道入口→20番 鶴林寺→21番 太龍寺→22番 平等寺→JR阿波福井駅
    距離: 24.42 km

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  7. JR阿波福井→23番 薬王寺
    距離: 31.00 km

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  8. 23番 薬王寺→別格4番 鯖大師→JR海部駅
    距離 29.03 km

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  9. 海部駅→佐喜浜港上(高知東部交通)
    移動距離:31.38km

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  10. 佐喜浜港上→24番 最御崎寺→25番 津照寺→26番 金剛頂寺→道の駅 キラメッセ室戸
    移動距離:31.19km

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  11. 道の駅 キラメッセ室戸→唐の浜東(高知東部交通)
    移動距離:23.85km

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  12. 唐浜駅→27番 神峯寺→赤岡駅
    移動距離:36.26km

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  13. 赤岡駅→28番 大日寺→29番 国分寺→30番 善楽寺→31番 竹林寺→32番 禅師峰寺→池通技術学校前
    移動距離:35.73km

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  14. 池通技術学校前→33番 雪蹊寺→34番 種間寺→35番 清瀧寺→宮前スカイライン入口

    移動距離: 32.64km

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  15. 竜→36番 青龍寺→別格5番 大善寺→JR土佐久礼駅
    移動距離:29.31km 

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  16. JR土佐久礼駅→37番 岩本寺→土佐くろしお鉄道 土佐佐賀駅
    移動距離:40.01km 

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  17. 土佐くろしお鉄道 土佐佐賀駅→高知西南交通 大文字前(バス停)
    移動距離:28.91km 

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  18. ヘンロ小屋 54号 四万十→38番 金剛福寺
    移動距離:35.35km

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  19. 高知西南交通 市野瀬→土佐くろしお鉄道 平田駅
    移動距離:22.35km

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  20. 土佐くろしお鉄道 平田駅→39番 延光寺→40番 観自在寺→宇和島自動車 南レク御荘公園前
    移動距離:30.6km

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  21. 南レク御荘公園前→別格9番 龍光院→宇和島駅
    移動距離: 39.66 km 

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  22. JR宇和島駅→別格6番 龍光院→41番 龍光寺→42番 仏木寺→43番 明石寺→JR上宇和駅
    距離: 28.53 km 

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  23. JR上宇和駅→別格7番 出石寺→JR西大洲駅
    距離: 39.70 km

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  24. JR伊予平野駅→別格8番 十夜ヶ橋→JR内子駅
    距離: 17.85 km 

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  25. JR内子駅→44番 大寶寺[16:15]→JRバス 久万中学前
    距離: 37.21 km 

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  26. ふるさと村→45番 岩屋寺→46番 浄瑠璃寺
    距離: 34.1 km 

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  27. 46番 浄瑠璃寺→47番 八坂寺→別格9番 文殊院→48番西林寺→49番 浄土寺→50番 繁多寺→51番 石手寺
    移動距離 23.9km 

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  28. 52番 太山寺→53番 円明寺→JR伊予北条駅
    移動距離:23.27km 

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  29. JR伊予北条駅→JR大西駅
    移動距離:23.11km 

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  30. JR大西駅→54番 延命寺→55番 南光坊→56番 泰山寺→57番 栄福寺→58番 仙遊寺→59番 国分寺→JR伊予桜井
    移動距離:25.6km 

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  31. JR伊予桜井→別格10番 西山興隆寺→別格11番 生木地蔵→大頭(せとうちバス)
    移動距離:23km 

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  32. 大頭→60番 横峰寺→石鎚神社 成就社
    移動距離:18.9km 

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  33. 石鎚神社 成就社→頂上社→氷見(せとうちバス)
    移動距離:24.8km 

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  34. JR伊予小松駅→62番 宝寿寺→61番 香園寺→63番 吉祥寺→石鎚神社 口之宮→64番 前神寺→JR中萩駅
    移動距離:20.9km 

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  35. JR中萩駅→別格12番 延命寺→JR伊予三島駅
    移動距離: 29.7km 

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  36. JR伊予三島駅→65番 三角寺→別格13番 仙龍寺→別格14番 椿堂→JR阿波池田駅
    移動距離:40.31km

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  37. JR箸蔵駅→別格15番 箸蔵寺→66番 雲辺寺→別格16番 萩原寺→67番 大興寺→JR観音寺駅
    移動距離:41.46km

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  38. JR観音寺駅→68番 神恵院・69番 観音寺→70番 本山寺→71番 弥谷寺→JR海岸寺駅
    移動距離:22.46km 

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  39. JR海岸寺駅→別格 18番 海岸寺→72番 曼荼羅寺→73番 出釈迦寺→74番 甲山寺→75番 善通寺→別格17番 神野寺→JR塩入駅
    移動距離:25.03km 

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  40. JR善通寺駅→76番 金倉寺→77番 道隆寺→78番 郷照寺→79番 天皇寺→80番 国分寺→JR国分駅
    移動距離:27.24km 

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  41. JR国分駅→81番 白峯寺→82番 根香寺→別格19番 香西寺→83番 一宮寺→琴電 瓦町
    移動距離:31.9km

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  42. 瓦町→84番 屋島寺→85番 八栗寺→86番 志度寺→87番 長尾寺→琴電 長尾駅
    移動距離:26.23km

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  43. 87番 長尾寺→別格20番 大瀧寺→塩江
    移動距離:32.01km

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  44. 多和小学校前→88番 大窪寺→讃岐相生駅
    移動距離:29.8km

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  45. 讃岐相生駅→1番 霊山寺
    移動距離:16.34km

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筑前国 一之宮 住吉神社

筑前国 一之宮
祭神は次の5柱。これら5柱をして「住吉五所大神」とも総称される。
主祭神【住吉三神】:底筒男命・中筒男命・表筒男命
配祀神:天照皇大神・神功皇后

福岡市中心部、かつて比恵川と那珂川の河口、冷泉津に突き出る形で鎮座しており、航海守護神の住吉三神を祀る神社である。
全国には住吉神社が2,000社以上分布し、一般には大阪の住吉大社がその本社とされるが、同社の『住吉大社神代記』には住吉三神は筑紫大神と記されているため、当社が全ての住吉神社の始祖である。
古代には他の住吉神社とともにヤマト王権の国家的航海神として崇敬され、中世からは筑前国の一宮に位置づけられたほか、領主・一般民衆からも海にまつわる神として信仰された古社になる。

古事記に登場する伊弉諾大神(イザナギノオオカミ)の禊祓(みそぎはらえ)によってこの住吉三神が生まれたことで、浄化の神として、私たちの心身の浄化と開運の恵みがご神徳とされています。

 

住吉橋を渡って進むと天津神社が見えてくる。

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伊弉諾大神が禊払いをした池といわれてる「天竜池」。
かつてこの地まで満潮時の海が押し寄せていたという言い伝えからきている。
そしてアーチ型の小さい橋を渡るとその向こうに「天津神社」がひっそりと佇んでいる。

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天津神社 祭神:伊弉諾大神
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天竜池を抜けると住吉神社の西門
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参道の途中に少彦名神社がある。
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少彦名神社 祭神:少彦名命
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神門
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本殿と拝殿
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本殿は、江戸時代前期の元和9年(1623年)の福岡藩主黒田長政による造営。
様式は「住吉造(すみよしづくり)」と称される独特のもので、大阪の住吉大社とも共通する。住吉大社本殿は4棟でこちらは1棟であるが、造営年代は住吉大社本殿(1810年造営)より大きく先行する。
形式は桁行(奥行)4間・梁間(間口)2間の切妻造で、屋根は檜皮葺。屋根やそれに付す破風・千木・堅魚木3本が直線的であるという点は、古制を反映するという。柱は朱色、板壁は白色で彩る。この住吉造は、神明造・大社造などとともに仏教渡来以前に遡りうる古代日本の建築様式とされ、ヤマト大王の住居の様式とする説もある。
この本殿は国の重要文化財に指定されている。
改築・修理する御遷宮が25年ごとに行われている。
本殿前に建てられている拝殿は、入母屋造で、屋根は銅板葺。

古代力士像
f:id:prodigal04:20200310095314j:image古代の力士をかたどった像。博多人形師の中村信喬・弘峰親子の合作。右手のシワの形が力という漢字に見える事から、その手に触れると力をもらえると云われている。

本殿の左に並ぶ摂社と末社

菅原神社(天満宮) 祭神:菅原道真
学問上達

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人丸神社 祭神:柿本人麿
芸能上達

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志賀神社(しがじんじゃ) 祭神:綿津見三神
金運上昇・航海安全

f:id:prodigal04:20200310095257j:image社の前の小判は、志賀大神を氏神とする豊の国(大分県)久住の志賀氏が宝籤に当籤した事を報恩感謝し、ご参拝の皆様にも「福」が授けられる事を願い、住吉神社の摂社である志賀神社に奉納建立したもの。

船玉神社(ふなたまじんじゃ) 祭神:猿田彦命
旅行安全・道開き

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稲荷神社 祭神:宇賀乃魂
商売繁盛

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南門の方に進むと、能楽殿・相撲場・三日恵比須神社があります。

三日恵比須神社 祭神:恵比須大神
笑門来福

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御朱印

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筑前国 一之宮 筥崎宮

筑前国 一之宮
主祭神:応神天皇・神功皇后・玉依姫命

筥崎宮は筥崎八幡宮とも称し、宇佐、石清水両宮とともに日本三大八幡宮に数えられる。 御祭神は筑紫国蚊田(かだ)の里、現在の福岡県宇美町にお生まれになられた応神天皇(第十五代天皇)を主祭神として、神功皇后、玉依姫命がお祀りされている。創建の時期については諸説あり断定することは困難だが、古録によれば、平安時代の中頃である延喜21年(西暦921)、醍醐(だいご)天皇が神勅により「敵国降伏」(てきこくこうふく)の宸筆(しんぴつ)を下賜され、この地に壮麗な御社殿を建立し、延長元年(923)筑前大分(だいぶ)宮(穂波宮)より遷座したことになっている。
創建後は祈りの場として朝野を問わず篤い崇敬を集めるとともに、海外との交流の門戸として重要な役割を果たした。
鎌倉中期、蒙古(もうこ)襲来(元寇)のおり、俗に云う神風が吹き未曾有の困難に打ち勝ったことから、厄除・勝運の神としても有名。
後世は足利尊氏、大内義隆、小早川隆景、豊臣秀吉など歴史に名だたる武将が参詣、武功・文教にすぐれた八幡大神の御神徳を仰ぎ筥崎宮は隆盛を辿った。
江戸時代には福岡藩初代藩主黒田長政、以下歴代藩主も崇敬を怠ることはなかった。
明治以降は近代国家を目指す日本とともに有り、同18年には官幣中社に、大正3年には官幣大社に社格を進められ、近年では全国より崇敬を集めるとともに、玉取祭や放生会大祭などの福博の四季を彩る杜(もり)として広く親しまれている。
 
地下鉄 箱崎宮駅から地上に出たところにある案内看板f:id:prodigal04:20200306212240j:image
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二の鳥居
f:id:prodigal04:20200306212225j:image博多湾からは本殿まで長大な参道が続く。参道の手前の箱崎浜一体は、以前は白砂青松とうたわれた美しい海岸線を誇っていたが、博多港修築により1936年には護岸整備され、現在では北側に箱崎埠頭、南側に東浜埠頭と博多港の倉庫などの施設が並び姿を一変させている。
一の鳥居
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一之鳥居は慶長14年(1609)、藩主黒田長政が建立したとその銘にある。この鳥居の柱は三段に切れ、下肥りに台石に続いている。笠木島木(かさぎしまぎ)は1つの石材で造られ、先端が反り上がり、貫と笠木の長さが同じ異色の鳥居であり、「筥崎鳥居」と呼ばれてる。
 
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楼門
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文禄3年(1594)筑前領主小早川隆景が建立、三間一戸入母屋造(さんけんいっこいりもやづくり)、檜皮葺(ひわだぶき)、建坪はわずか12坪であるが、三手先組(みてさきぐみ)といわれる枡組によって支えられた、83坪余りの雄大な屋根を有した豪壮な建物。
「敵国降伏」の扁額(へんがく)を掲げていることから伏敵門とも呼ばれている。
扉の太閤桐の紋様彫刻は江戸時代の名匠左甚五郎の作と伝わっている。

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お潮井
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参道の先の海岸は清めの真砂(まさご)を貰い受ける「お汐井とり」が行なえるよう砂地が整備されている。
 
湧出石
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筥松
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楼門の右手の朱の玉垣で囲まれる松の木。
神功皇后が応神天皇を出産した際、胞衣(えな)を箱に入れてこの地に納め、印として植えられたのがこの「筥松」と言われる。「筥崎(箱崎)」の名称はこの胞衣を納めた箱に由来する。
 
御朱印
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太宰府天満宮

福岡から電車で1時間程度移動して太宰府天満宮を参拝。 

太宰府天満宮は、菅原道真(すがわら みちざね)公の御墓所(ごぼしょ)の上にご社殿を造営し、その御神霊(おみたま)を永久にお祀りしている神社。 「学問・至誠・厄除けの神様」として、日本全国はもとより広く世のご崇敬を集め、年間に約1000万人の参拝者が訪れている。

道真公は、承和12年(845)に京都でお生まれになられた。
幼少期より学問の才能を発揮され、努力を重ねられることで、一流の学者・政治家・文人としてご活躍なされた。

しかし、無実ながら政略により京都から大宰府に流され、延喜3年(903)2月25日、道真公はお住まいであった大宰府政庁の南館(現在の榎社)において、ご生涯を終えられた。
門弟であった味酒安行(うまさけ やすゆき)が御亡骸を牛車に乗せて進んだところ、牛が伏して動かなくなり、これは道真公の御心によるものであろうと、その地に埋葬されることとなった。
延喜5年(905)、御墓所の上に祀廟(しびょう)が創建され、延喜19年(919)には勅命により立派なご社殿が建立された。

その後、道真公の無実が証明され、「天満大自在天神(てんまだいじざいてんじん)」という神様の御位を贈られ、「天神さま」と崇められるようになった。

長い年月、道真公へのご崇敬は絶え間なく続き、御墓所でもある太宰府天満宮は全国約12,000社ある天神さまをお祀りする神社の総本宮と称えられ、今日でも多くの参拝者が訪れている。

参道f:id:prodigal04:20200306211944j:image土産屋さんが並ぶ参道


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心字池f:id:prodigal04:20200306211854j:image池が漢字の「心」の字に形造られていることから「心字池」と呼ばれている。

太鼓橋
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f:id:prodigal04:20200306211937j:image心字池に架かる御神橋は、太鼓橋・平橋・太鼓橋の三橋からなり、それぞれ過去・現在・未来をあらわしている。

楼門
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本殿
f:id:prodigal04:20200306211900j:image道真公の御墓所に延喜5年(905)8月19日、門弟の味酒安行(うまさけ やすゆき)が祠廟(しびょう)を建て、同19年(919)、左大臣 藤原仲平が醍醐天皇の勅令を受けて御社殿を造営した。
その後、兵火などにより数度焼失したが、筑前国主 小早川隆景が5ヶ年かけて造営し、天正19年(1591)に竣工したのが現在の御本殿。
五間社流造(ごけんしゃながれづくり)で檜皮葺の屋根を備え、築400年以上を経過した現在でも桃山時代の豪壮華麗な様式を見事に伝えている。
国の重要文化財に指定されている。

皇后の梅
f:id:prodigal04:20200306211850j:image大正11年(1922)、貞明皇后(大正天皇后)がご参拝の際に、葉山御用邸よりご持参の梅をお手植えされた梅の継承木。紅の華麗な八重中輪の花をつける。

飛梅
f:id:prodigal04:20200306211844j:image「東風吹かば にほひをこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」道真公を慕って、都から一夜にして飛んできたと伝えられる由縁の御神木。
品種は「色玉垣」(極早の八重咲き)で毎年境内にて一番に咲き始める。梅はこの他に約200種、約6,000本が境内にあり、毎年色鮮やかに咲き誇り、天神の杜は心地よい香りに包まれる。

御朱印
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新四国曼荼羅 50番 高昌寺

新四国曼荼羅 50番

山号:護国山
宗派:曹洞宗
本尊:聖観音菩薩
住所:愛媛県喜多郡内子町城廻117

嘉吉元年(1441年)に防州の大功円忠が常久寺の地に浄久寺を創建した。天文二年(1535年)のとき、曽根高昌がその寺に帰依し寄進し、現在地に移転して堂塔伽藍を整備、彼の死後、護国山高昌寺に改称し隆盛を誇り末寺24ケ寺となった。
文化四年(1807年)、失火により諸堂は灰燼と化すも、本尊と開創の像と山門は難を逃れる。翌年直ちに再建に取り掛かる。その時、大洲藩主加藤泰興の寄進により復活を果たし現在にいたる。なおその再建の際、柳沢村の良質の楠木を賜り各所に使用したため、別名楠木寺と呼ばれる。
伽藍配置が本山永平寺に似ていることから、伊予のミニ永平寺とも称される。

山門

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中雀門
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仏殿
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山門から下ったところにある「石像涅槃仏」
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長さ20m、高さ2m、重さは約200tだとか
中国敦煌にある莫高窟の涅槃仏を基に彫像されたもので、石造の涅槃仏としては日本最大級のもの
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御朱印
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パンフレット
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新四国曼荼羅 53番 善福寺(山田薬師)

新四国曼荼羅 53番

山号:潮光山
宗派:曹洞宗
本尊:薬師如来
住所:愛媛県西予市宇和町西山田1889

山田薬師(善福寺)は、日本三大薬師」の一つに数えられる。境内にある大岩は、1963年の大雨により落下し、大師堂を押しつぶしたが、堂内にあった大師像は奇跡的にも無事だったそうだ。

山門

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本堂(奥)と大師堂(手前)
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大岩
この大岩は昭和38年8月の大雨に大音響とともに山より落下し、五間三間の大師堂は岩の下に埋没
奇蹟にもお大師様は怪我一つなくはるかお堂の外にあり
ときに山田薬師1,250年祭御開帖に当り、新に大師堂を建立奉安し今昔を偲び礼拝す
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大師堂
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御朱印
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新四国曼荼羅 54番 泰平寺

新四国曼荼羅 54番

山号:神田山
宗派:曹洞宗
本尊:釈迦牟尼仏
住所:愛媛県宇和島市神田川原8

今からちょうど400年前(慶長五年)宇和島城築城の際、名称藤堂高虎によって創建され、創建当初は城山下に小さい草庵であったがその後、現在の地に移転された。(移転年代は不明)
昭和二十六年には梵金「平和の鐘」が篤志家により寄進されたが、この鐘「平和の鐘」には世界23ヶ国の貨幣が鋳造されており、この梵鐘をモデルとして同篤志家がニューヨーク国連本部にも「平和の鐘」を寄進し、その「平和の鐘」は国連総会の開会には事務総長自らがこの「平和の鐘」をつき世界平和を祈りつつ総会が開催されている。

馬目木大師のすぐ近くにある泰平寺

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御朱印
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新四国曼荼羅 51番 龍澤寺

新四国曼荼羅 51番

山号:禹門山
宗派:曹洞宗總持寺派
本尊:釈迦如来
住所:愛媛県西予市城川町魚成753

桃山時代の建築様式の七堂伽藍を建っており、3700坪の広大な敷地を持つ、寺院は今も尚、広大な敷地を有している。

龍澤寺は曹洞宗総持寺派の古刹で、末寺56ヶ寺を統轄する、いわば曹洞宗の中本山の格式を有する寺であり、末寺の多くは南予に散在しているが、中には松山あるいは高知県にまで及んでいるものもある。
龍澤寺の創建せられたのは、今からおよそ600年前に当たる元享三年(紀元1323後醍醐天皇代)である。中尾坂城(北宇和郡広見町、旧三島村)城主、平采女正吉貞が発願者となり、徳翁禅師を招請して開山さられ、始めは龍天寺と号した。
この時の寺は古奈良谷(現在のお開山開拓地)にあり古書に”寺の構え三町四方”とあり、現在も当時の礎石と思われるものが、数町の範囲にわたって発見せられ昔の面影がうかがえる。
一説に龍天寺は、徳翁以前に於ては御在所上に在り天台宗であったと言い、現に古瓦を発見することがあると言う。 徳翁以後数世にして次第に荒廃しておよそ100年を経過した。
1433年に薩摩藩主島津元久の長男で、巡航した仲翁守邦禅師が中興し、現在の龍澤寺と改名、鬼瓦に島津家の家紋「丸に十」が刻まれている。

境内の案内看板

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偃月橋
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橋上からの眺め
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仁王門
宝永4年(1707年)当時25世彗禅万丈の時再建された。
仁王尊像作師は天保11年周防国仏師日野岩城義光が謹刻奉納す。
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仁王門を抜けると上に山門が見える
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山門
天保13年(1842年)4月16日落慶。
この山門の建築と彫刻のために当時の龍澤寺大工が京都と愛媛を往復し、約10年の歳月を要して建立されたとの記録が残っている。
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鎮守堂
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中雀門
山門と仏殿の中間に位置する
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左手が衆寮
歴代の家紋付きの鴟尾も展示されている
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右手が客寮
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正面に水鉢と本堂
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衆寮の前を通り本堂へ
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本堂の戸は閉まっているので、開けて中に入る

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客寮の前に御朱印が置かれていた
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隣接する緑地公園
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御朱印
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新四国曼荼羅 52番 永照寺(バラ大師)

新四国曼荼羅 52番

山号:霊光山
宗派:曹洞宗
本尊:釈迦如来
住所:愛媛県西予市野村町阿下5-974

愛媛県西予市野村町にある「バラ大師」(ばらだいし)は永照寺とも呼ばれ、弘法大使ゆかりのお寺。本堂裏には、大師が野宿をした際、とげを封じ込めたと伝えられる「とげなしバラ」が現在でもある。このバラは祈ればご利益が、他の地に移すと災難に遭うと言われる不思議なもの。境内には、他にもぼけ除けと智慧授けの地蔵くぐりや祈願すれば願いが叶うといわれる南無大願王地蔵菩薩もあり、毎年4月と7月には四国八十八ヶ所の土砂を讃仰して、「お砂踏み」も行われている。

手前の墓地にある駐車場に車を停めて永照寺に向かう

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山門はなかった
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手水舎
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本堂
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本堂の左手には水子地蔵
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本堂の左側から裏手へ
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本堂の後ろにあるぼけ除けと智慧授けの地蔵くぐり
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棘無しバラ
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棘無しバラの中に立つ大師像
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確かに普通のバラと比べると棘が少ない
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バラ大師
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六波羅蜜井戸
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南無大願王地蔵菩薩
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御朱印
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武蔵国 一之宮 氷川神社

武蔵国 一之宮
御祭神:須佐之男命・稲田姫命・大己貴命
住所:埼玉県さいたま市大宮区高鼻町1-407

氷川神社は社記によると今から凡そ2,400年以上、第五代孝昭天皇の御代3年4月未の日の御創立と伝えられている。

御祭神、須佐之男命は天照大御神と月読命とともに伊弉諾命から生まれた三貴子の一神で、八俣大蛇退治など力強く雄々しい神として知られている。
大己貴命は須佐之男命の御子に坐して国土を天孫瓊々杵命(ににぎのみこと)に御譲りになられた国土経営の神。
稲田姫命は須佐之男命の御妃で大己貴命の御母神。
この御三神をここにお祀りされたのは国土経営、民福安昌祈願のためであって、大和朝廷の威光が東方に及ぶにつれて、当神社の地位も重くなったと考えられている。

神社の鎮座する地は、大宮台地の上にあり、その中でも鼻のように高く突き出た位置にある為、一帯の地名は高鼻町と呼ばれている。かつて神社の東側には見沼と呼ばれる広大な湖沼があり、豊かな土壌を形成する元となっていた。「神沼」、「御沼」とも呼ばれた見沼は正に豊かな恵みを与えて下さる神聖な水をたたえた湖沼で、江戸時代に開発された見沼溜井は周囲約39キロに及ぶ大貯水池だった。現在境内にある神池は見沼の名残であるといわれ、神域の蛇の池からの湧水が豊富に注がれている。
地理的な点から見ても、見沼をひかえ土地は肥沃で東西南北に交通の便もよく、人々は益々繁栄し今日の基をなすに至ったものと思われる。

第十二代景行天皇の御代、日本武尊は当神社に御参拝し東夷鎮定の祈願をなされたと伝わっている。第十三代成務天皇の御代には出雲族の兄多毛比命が朝廷の命により武蔵国造となって氷川神社を奉崇し、善政を敷かれてから益々当社の神威は輝き格式を高めたと伝わっている。
今から凡そ1,200年前の聖武天皇の御代には武蔵一宮と定められ、醍醐天皇の御代に制定された延喜式神名帳には名神大社として、月次新嘗案上の官幣に預かり、又臨時祭にも奉幣に預かる等、歴朝の崇敬を殊の外厚く受けていた。
また武家時代になっては、鎌倉・足利・北条・徳川氏等相次いで当社を尊仰し、治承四年源頼朝公が土肥次郎実平に命じて社殿を再建、文禄5年8月には徳川氏が伊奈備前守忠次を奉行として社頭残らずを造営せしめ、寛文7年3月には阿部豊後守を奉行として社殿の建立をしている。この社殿は御嶽神社、天津神社の社殿として現在も残っており、同時に建立された門客人神社社殿とともに市の文化財となっている。

氷川神社の参道は、さいたま新都心駅近くにある「一の鳥居」から、約2kmケヤキを中心としたおよそ700本の樹木が続いている。

大宮駅近くの「二の鳥居」
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大宮公園入口にある「三の鳥居」
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「三の鳥居」を抜けたところに大きな夫婦楠という二本に分かれた楠がある。f:id:prodigal04:20200211171001j:image

境内の入口にある楼門
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楼門を抜けると正面にある舞殿
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舞殿の横を抜けると拝殿が見える。
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拝殿
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御朱印
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知知夫国 秩父神社

御祭神:八意思兼命・知知夫彦命・天之御中主神
住所:埼玉県秩父市番場町 1-1

秩父神社の創建は、平安初期の典籍『先代旧事紀-国造本紀-』によれば、第十代崇神天皇の御代に知知夫国の初代国造に任命された八意思兼命の十世の子孫である知知夫彦命が、祖神をお祀りしたことに始まるとされている。武蔵国成立以前より栄えた知知夫国の総鎮守として現在に至る。
元慶2年(878年)には神階正四位下に進み、延長5年(927年)に編算された『延喜式』にも掲載されるなど、関東でも屈指の古社のひとつに数えられている。
また、中世以降は関東武士団の源流、平良文を祖とする秩父平氏が奉じる妙見信仰と習合し、長く秩父妙見宮として隆盛を極めたが、明治の神仏判然令により秩父神社の旧社名に復した。
その後、昭和3年には國幣小社の社格となり、現在は神社本庁の別表神社となっている。
平成26年には御鎮座2,100年を迎え、同年12月3日の例祭において天皇陛下より臨時御奉幣を賜り盛大に祭典が執り行われた。
現存するご社殿は、天正20年(1592年)に徳川家康公が寄進されたもので、江戸時代初期の建築様式をよく留めていることなどから、埼玉県の有形文化財に指定されている。

鳥居を抜けると神門が見えてくる
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拝殿
f:id:prodigal04:20200210190852j:image権現造(ごんげんづくり)と言われる建築様式で、鮮やかな色の彫刻が施された豪華な作りが特徴。
江戸時代初期に活躍したとされる、日光東照宮や出雲大社なども手がけた左甚五郎(ひだりじんごろう)の作品が多くあり、見どころとなっている。

拝殿正面の左右に「子宝、子育ての虎」
正面左側の「子宝 子育ての虎」は江戸時代の初期に活躍していた左甚五郎(ひだりじんごろう)が彫ったとされている注目の彫刻。
徳川家康公の威厳や、祭神を守る神の使者として作られたものとされている。

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親の心得
「赤子には肌を離すな 幼児には手を離すな
 子供には目を離すな 若者には心を離すな」
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拝殿の側面
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本殿の側面の「お元気三猿」
「日光東照宮」では「見ざる・言わざる・聞かざる」という表情をした猿が有名ですが、秩父のお猿さんは正反対。
秩父神社の「お元気三猿」は「よく見て・よく聞いて・よく話す」をコンセプトにしている。

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本殿後ろ側の「北辰の梟」
体の向きは正面にある本殿へ、頭は正反対の北を向いている。
この梟が見つめている方角に「秩父神社」の祭神である「妙見様」が出現すると言われ「秩父神社」と密接に関わる鳥と考えられている。

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本殿の側面の「つなぎの龍」は改装中で見る事は出来なかった
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ラミネートで掲示された今後の改修予定
映り込みが激しいので、ホワイトボード撮影モードで撮影したが、反射している箇所の色が変化して上手く撮れなかった。
令和5年まで改修が続くみたい。
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境内にあった「乳銀杏」
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御朱印
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