タクボンのお遍路日記

2016年、車で逆打ちで遍路。2017~2018年、休日歩き遍路で結願した時の記録を残しています

お遍路情報と歩き遍路まとめ

1番からの通しでなく、バラバラに回っているので、もくじ的なページを作ってみました。
ページは随時更新していきます。

役立ちリンク集

↓リニューアルされて、役に立つ情報が満載になってます

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歩き遍路用のグーグルマップ:

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車遍路用にルート検索できるように駐車場に位置を修正したグーグルマップ:四国お遍路マップ 車遍路用

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JR四国:時刻表・運賃・列車編成 | JR四国:四国全般

路線バス|ジェイアール四国バス:四国全般

徳島バス:路線バス情報 | 徳島バス株式会社:徳島市周辺

http://asatetu.com/:23番 薬王寺→24番 最御崎寺

ようこそ高知東部交通株式会社へ:室戸周辺

とさでん交通株式会社:高知周辺

路線バス|高知西南交通:中村周辺

土佐くろしお鉄道株式会社 TOSA KUROSHIO TETSUDO (Railway)

四万十くろしおライン時刻表:http://docs.wixstatic.com/ugd/06d37b_87ad45ad31814e068c4b8fa85a34c187.pdf:宿毛周辺

宇和島自動車株式会社 宇和島バス:愛媛 南予

伊予鉄道株式会社:IYOTETSU:愛媛 中予

伊予鉄南予バス株式会社:久万高原町周辺

瀬戸内運輸株式会社:愛媛 東予

香川の駅の駐車場情報:https://www.pref.kagawa.lg.jp/kotsu/park.html

宿探し

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装備など

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歩き遍路の記録

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  1. 1番 霊山寺→2番 極楽寺→3番 金泉寺→4番 大日寺→5番 地蔵寺→別格1番 大山寺→6番 安楽寺

    距離: 20.89 km

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  2. 安楽寺 駐車場→7番 十楽寺→8番 熊谷寺→9番 法輪寺→10番 切幡寺→11番 藤井寺安楽寺 駐車場
    距離: 33.46 km

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  3. 藤井寺 駐車場→長戸庵→柳水庵→浄蓮庵→12番 焼山寺→杖杉庵→別格2番 童学寺→JR下浦駅
    移動距離:34.03km

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  4. 別格2番 童学寺→13番 大日寺→14番 常楽寺→15番 国分寺→16番 観音寺→17番 井戸寺→18番 恩山寺→19番 立江寺→JR立江駅
    移動距離:40.65km

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  5. 19番 立江寺→別格3番 慈眼寺→ふれあいの里 さかもと
    距離: 27.11 km

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  6. 鶴林寺 登山道入口→20番 鶴林寺→21番 太龍寺→22番 平等寺→JR阿波福井駅
    距離: 24.42 km

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  7. JR阿波福井→23番 薬王寺
    距離: 31.00 km

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  8. 23番 薬王寺→別格4番 鯖大師→JR海部駅
    距離 29.03 km

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  9. 海部駅→佐喜浜港上(高知東部交通)
    移動距離:31.38km

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  10. 佐喜浜港上→24番 最御崎寺→25番 津照寺→26番 金剛頂寺→道の駅 キラメッセ室戸
    移動距離:31.19km

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  11. 道の駅 キラメッセ室戸→唐の浜東(高知東部交通)
    移動距離:23.85km

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  12. 唐浜駅→27番 神峯寺→赤岡駅
    移動距離:36.26km

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  13. 赤岡駅→28番 大日寺→29番 国分寺→30番 善楽寺→31番 竹林寺→32番 禅師峰寺→池通技術学校前
    移動距離:35.73km

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  14. 池通技術学校前→33番 雪蹊寺→34番 種間寺→35番 清瀧寺→宮前スカイライン入口

    移動距離: 32.64km

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  15. 竜→36番 青龍寺→別格5番 大善寺→JR土佐久礼駅
    移動距離:29.31km 

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  16. JR土佐久礼駅→37番 岩本寺→土佐くろしお鉄道 土佐佐賀駅
    移動距離:40.01km 

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  17. 土佐くろしお鉄道 土佐佐賀駅→高知西南交通 大文字前(バス停)
    移動距離:28.91km 

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  18. ヘンロ小屋 54号 四万十→38番 金剛福寺
    移動距離:35.35km

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  19. 高知西南交通 市野瀬→土佐くろしお鉄道 平田駅
    移動距離:22.35km

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  20. 土佐くろしお鉄道 平田駅→39番 延光寺→40番 観自在寺→宇和島自動車 南レク御荘公園前
    移動距離:30.6km

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  21. 南レク御荘公園前→別格9番 龍光院→宇和島駅
    移動距離: 39.66 km 

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  22. JR宇和島駅→別格6番 龍光院→41番 龍光寺→42番 仏木寺→43番 明石寺→JR上宇和駅
    距離: 28.53 km 

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  23. JR上宇和駅→別格7番 出石寺→JR西大洲駅
    距離: 39.70 km

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  24. JR伊予平野駅→別格8番 十夜ヶ橋→JR内子駅
    距離: 17.85 km 

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  25. JR内子駅→44番 大寶寺[16:15]→JRバス 久万中学前
    距離: 37.21 km 

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  26. ふるさと村→45番 岩屋寺→46番 浄瑠璃寺
    距離: 34.1 km 

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  27. 46番 浄瑠璃寺→47番 八坂寺→別格9番 文殊院→48番西林寺→49番 浄土寺→50番 繁多寺→51番 石手寺
    移動距離 23.9km 

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  28. 52番 太山寺→53番 円明寺→JR伊予北条駅
    移動距離:23.27km 

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  29. JR伊予北条駅→JR大西駅
    移動距離:23.11km 

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  30. JR大西駅→54番 延命寺→55番 南光坊→56番 泰山寺→57番 栄福寺→58番 仙遊寺→59番 国分寺→JR伊予桜井
    移動距離:25.6km 

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  31. JR伊予桜井→別格10番 西山興隆寺→別格11番 生木地蔵→大頭(せとうちバス)
    移動距離:23km 

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  32. 大頭→60番 横峰寺→石鎚神社 成就社
    移動距離:18.9km 

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  33. 石鎚神社 成就社→頂上社→氷見(せとうちバス)
    移動距離:24.8km 

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  34. JR伊予小松駅→62番 宝寿寺→61番 香園寺→63番 吉祥寺→石鎚神社 口之宮→64番 前神寺→JR中萩駅
    移動距離:20.9km 

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  35. JR中萩駅→別格12番 延命寺→JR伊予三島駅
    移動距離: 29.7km 

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  36. JR伊予三島駅→65番 三角寺→別格13番 仙龍寺→別格14番 椿堂→JR阿波池田駅
    移動距離:40.31km

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  37. JR箸蔵駅→別格15番 箸蔵寺→66番 雲辺寺→別格16番 萩原寺→67番 大興寺→JR観音寺駅
    移動距離:41.46km

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  38. JR観音寺駅→68番 神恵院・69番 観音寺→70番 本山寺→71番 弥谷寺→JR海岸寺駅
    移動距離:22.46km 

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  39. JR海岸寺駅→別格 18番 海岸寺→72番 曼荼羅寺→73番 出釈迦寺→74番 甲山寺→75番 善通寺→別格17番 神野寺→JR塩入駅
    移動距離:25.03km 

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  40. JR善通寺駅→76番 金倉寺→77番 道隆寺→78番 郷照寺→79番 天皇寺→80番 国分寺→JR国分駅
    移動距離:27.24km 

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  41. JR国分駅→81番 白峯寺→82番 根香寺→別格19番 香西寺→83番 一宮寺→琴電 瓦町
    移動距離:31.9km

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  42. 瓦町→84番 屋島寺→85番 八栗寺→86番 志度寺→87番 長尾寺→琴電 長尾駅
    移動距離:26.23km

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  43. 87番 長尾寺→別格20番 大瀧寺→塩江
    移動距離:32.01km

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  44. 多和小学校前→88番 大窪寺→讃岐相生駅
    移動距離:29.8km

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  45. 讃岐相生駅→1番 霊山寺
    移動距離:16.34km

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武蔵国 一之宮 氷川神社

武蔵国 一之宮
御祭神:須佐之男命・稲田姫命・大己貴命
住所:埼玉県さいたま市大宮区高鼻町1-407

氷川神社は社記によると今から凡そ2,400年以上、第五代孝昭天皇の御代3年4月未の日の御創立と伝えられています。

御祭神、須佐之男命は天照大御神と月読命とともに伊弉諾命から生まれた三貴子の一神で、八俣大蛇退治など力強く雄々しい神として知られています。
大己貴命は須佐之男命の御子に坐して国土を天孫瓊々杵命(ににぎのみこと)に御譲りになられた国土経営の神です。稲田姫命は須佐之男命の御妃で大己貴命の御母神です。
この御三神をここにお祀りされたのは国土経営、民福安昌祈願のためであって、大和朝廷の威光が東方に及ぶにつれて、当神社の地位も重くなったと考えられています。

神社の鎮座する地は、大宮台地の上にあり、その中でも鼻のように高く突き出た位置にある為、一帯の地名は高鼻町と呼ばれています。かつて神社の東側には見沼と呼ばれる広大な湖沼があり、豊かな土壌を形成する元となっていました。「神沼」、「御沼」とも呼ばれた見沼は正に豊かな恵みを与えて下さる神聖な水をたたえた湖沼で、江戸時代に開発された見沼溜井は周囲約39キロに及ぶ大貯水池でした。現在境内にある神池は見沼の名残であるといわれ、神域の蛇の池からの湧水が豊富に注がれています。
地理的な点から見ても、見沼をひかえ土地は肥沃で東西南北に交通の便もよく、人々は益々繁栄し今日の基をなすに至ったものと思われます。

第十二代景行天皇の御代、日本武尊は当神社に御参拝し東夷鎮定の祈願をなされたと伝わっています。第十三代成務天皇の御代には出雲族の兄多毛比命が朝廷の命により武蔵国造となって氷川神社を奉崇し、善政を敷かれてから益々当社の神威は輝き格式を高めたと伝わっています。
今から凡そ1,200年前の聖武天皇の御代には武蔵一宮と定められ、醍醐天皇の御代に制定された延喜式神名帳には名神大社として、月次新嘗案上の官幣に預かり、又臨時祭にも奉幣に預かる等、歴朝の崇敬を殊の外厚く受けていました。
また武家時代になっては、鎌倉・足利・北条・徳川氏等相次いで当社を尊仰し、治承四年源頼朝公が土肥次郎実平に命じて社殿を再建、文禄5年8月には徳川氏が伊奈備前守忠次を奉行として社頭残らずを造営せしめ、寛文7年3月には阿部豊後守を奉行として社殿の建立をしています。この社殿は御嶽神社、天津神社の社殿として現在も残っており、同時に建立された門客人神社社殿とともに市の文化財となっています。

氷川神社の参道は、さいたま新都心駅近くにある「一の鳥居」から、約2kmケヤキを中心としたおよそ700本の樹木が続いています。

↓大宮駅近くの「二の鳥居」
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大宮公園入口にある「三の鳥居」
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「三の鳥居」を抜けたところに大きな夫婦楠という二本に分かれた楠がありました。
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境内の入口にある楼門
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楼門を抜けると正面にある舞殿
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舞殿の横を抜けると拝殿が見えます。
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拝殿
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御朱印
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知知夫国 秩父神社

御祭神:八意思兼命・知知夫彦命・天之御中主神
住所:埼玉県秩父市番場町 1-1

権現造(ごんげんづくり)と言われる建築様式で、鮮やかな色の彫刻が施された豪華な作りが特徴。
江戸時代初期に活躍したとされる、日光東照宮や出雲大社なども手がけた左甚五郎(ひだりじんごろう)の作品が多くあり、見どころとなっています。

秩父神社のご創建は、平安初期の典籍『先代旧事紀-国造本紀-』によれば、第十代崇神天皇の御代に知知夫国の初代国造に任命された八意思兼命の十世の子孫である知知夫彦命が、祖神をお祀りしたことに始まるとされており、武蔵国成立以前より栄えた知知夫国の総鎮守として現在に至っています。
元慶2年(878年)には神階正四位下に進み、延長5年(927年)に編算された『延喜式』にも掲載されるなど、関東でも屈指の古社のひとつに数えられています。
また、中世以降は関東武士団の源流、平良文を祖とする秩父平氏が奉じる妙見信仰と習合し、長く秩父妙見宮として隆盛を極めましたが、明治の神仏判然令により秩父神社の旧社名に復しました。
その後、昭和3年には國幣小社の社格となり、現在は神社本庁の別表神社となっています。
平成26年には御鎮座2,100年を迎え、同年12月3日の例祭において天皇陛下より臨時御奉幣を賜り盛大に祭典が執り行われました。
現存するご社殿は、天正20年(1592年)に徳川家康公が寄進されたもので、江戸時代初期の建築様式をよく留めていることなどから、埼玉県の有形文化財に指定されています。

鳥居を抜けると神門が見えてくる
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拝殿
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拝殿正面の左右に「子宝、子育ての虎」
正面左側の「子宝 子育ての虎」は江戸時代の初期に活躍していた左甚五郎(ひだりじんごろう)が彫ったとされている注目の彫刻。
徳川家康公の威厳や、祭神を守る神の使者として作られたものとされています。

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親の心得
「赤子には肌を離すな 幼児には手を離すな
 子供には目を離すな 若者には心を離すな」
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拝殿の側面
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本殿の側面の「お元気三猿」
「日光東照宮」では「見ざる・言わざる・聞かざる」という表情をした猿が有名ですが、秩父のお猿さんは正反対。
秩父神社の「お元気三猿」は「よく見て・よく聞いて・よく話す」をコンセプトにしています。

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本殿後ろ側の「北辰の梟」
体の向きは正面にある本殿へ、頭は正反対の北を向いています。
この梟が見つめている方角に「秩父神社」の祭神である「妙見様」が出現すると言われ「秩父神社」と密接に関わる鳥と考えられています。

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本殿の側面の「つなぎの龍」は改装中で見る事が出来ませんでした
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ラミネートで掲示された今後の改修予定
映り込みが激しいので、ホワイトボード撮影モードで撮影しましたが、反射している箇所の色が変化してしまいました
令和5年まで改修が続くようです
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境内にあった「乳銀杏」
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御朱印
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上野国 一之宮 貫前神社

上野国 一之宮
主祭神:経津主神(ふつぬしのかみ)、姫大神(ひめおおかみ)
住所:群馬県富岡市一ノ宮1535

貫前神社(ぬきさきじんじゃ)は群馬県富岡市一ノ宮に鎮座する1,400年の歴史を持つお社です。
御祭神は「経津主神」と「姫大神」で、現在の社殿は3代将軍徳川家光公の命によって建てられました。
江戸時代初期の漆塗りで極彩色の社殿は国の重要文化財に指定されています。
また、年間祭儀が71回あり御戸開祭(みとびらきさい)や鹿占神事(しかうらしんじ)など古くからの祭儀が数多く残るのが特徴です。

登り坂の参道の階段を登ったところに大鳥居が見える
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大鳥居
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大鳥居から少し緩やかな登り道を進むと総門があります。
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総門から石段を下った場所に社殿がある「下り宮」
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本殿、拝殿、楼門、回廊は、江戸幕府第3代将軍徳川家光による寛永12年(1635年)の造営。
元禄11年(1698年)、第5代綱吉による大規模な修理で極彩色の漆が塗られ、現在の華麗な造りとなった。

楼門
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拝殿
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拝殿の奥に本殿
単層2階建てで「貫前造」と呼ばれる独特な造りである。
また、内部は2階構造になっていて上段に神座が据えられいる。

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本殿の上部に、稲含山に向けて「雷神小窓」が設けられている。
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本殿の裏側
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藤大杉
本殿の裏にそびえ立つ樹齢1200年の巨杉。

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平将門討伐に出征した藤原秀郷が、戦勝祈願で年齢と同じ36本の杉を奉納したうちの1本とされます。
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楼門の外にある「月読神社」
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御朱印
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「一の宮巡拝会」の御朱印帳の残念なところ

一之宮参拝のきっかけ

仕事で全国にある自社ビルに出張する機会が多く、今回、出張予定の埼玉で1日休暇を取得する事になったので、埼玉の観光地を調べていると、支店のすぐ近くに武蔵国一之宮 氷川神社があるのを初めて知り、ビックリしました。

氷川神社のある大宮公園や氷川神社の参道は歩いた事はありましたが、まさか一之宮とは。

一之宮とは

一之宮とは令制国で最も社格の高いとされた神社の事で、諸国において由緒の深く信仰が篤い神社であり、開拓神として土着の神が祀られている事が大半です。
古代から土着の神として最も崇敬された神社が必然的に一之宮となりました。
律令制において国司は任国内の諸社に神拝すると定められていました。
そのため一之宮の起源は国司が巡拝する神社の順番にあると云われいて、国司が赴任後に一番最初に神拝していた神社が一之宮であった。
律令制崩壊の後も、その国の第一の神社として一之宮の称号は使われ続けました。
通説では十一世紀から十二世紀にかけて成立したとされます。
一之宮巡拝の歴史は、江戸時代前期の神道家・橘三喜が、延宝三年(1675)から元禄十年(1697)まで、23年かけて全国の一之宮に参拝し、その記録を『諸国一宮巡詣記』全13巻として著した事が知られています。

一之宮を参拝してみようかな

四国八十八ヶ所霊場の流れで、四国の一之宮(大山祇神社・田村神社・大麻比古神社・土佐神社)は、参拝済みです。

その他の自社ビルの周りに自社ビルがあるか調べてみると、他にも支店から、少し足を伸ばせば参拝できる一之宮が数ヶ所有る事が分かり、一之宮巡りをしてみようかと思い、専用の御朱印帳を探してみました。

一之宮専用御朱印帳

一之宮専用の御朱印帳を販売しているところは少なく「全国一の宮会」、「全国一の宮巡拝会」、「一の宮巡拝会」では販売しているようです。

全国一の宮会:11×16cm(A6版)、1,000円

全国一の宮巡拝会:18×26cm(B5版)、5,170円

御朱印 | 一の宮とは | 一の宮巡拝会:18×26cm(B5版)、15,000円と7,000円の2種類

自分は、B5版の大きい御朱印帳の方が好みで、B5版の安価な「全国一の宮巡拝会」が販売している御朱印帳にしようかと思ったのですが、どうも、この御朱印帳、ツルツルの紙質で墨を吸わないとの情報があったので、和紙を使用している「一の宮巡拝会」が販売している四国和紙の御朱印帳(7,000円)に決めました。

購入についてのお問合せ | お問い合わせ | 一の宮巡拝会

注文は、上のリンク先のフォームから行えました。
支払は、商品と一緒に届く郵便振込用紙での振込のみです。

一の宮巡拝会 御朱印帳

フォームから注文後、1週間程度で、商品が届きました。

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中のページには各一之宮の名前と御祭神が印刷されてます。
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残念なところ その1

ただ、この御朱印帳、何点か残念なところありました。

まず、100ペーシ以上ある御朱印帳にしては、かなり薄く華奢です。
表紙と裏表紙が、写真のようにペラペラ。
また、和綴じの紐が細い。
気をつけて扱わないと、表紙の端のほうが折れたり、紐が切れたりしそうで怖いです。
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ちなみに、四国八十八霊場の納経帳の表紙は、厚みがあり、曲がらない物しか見た事がありません。
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「一の宮巡拝会」の御朱印帳の厚みはこんな感じです。
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納経帳は、こんな感じ
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残念なところ その2

もう一つの残念なところ

四国八十八ヶ所霊場の納経帳は、そこそこの金額になると、墨の裏移り防止の為に、下の写真のような「中入れ製本」「三重折り」と呼ばれる袋状になった和紙の間に、もう一枚、和紙が挟まれている物が多いです。
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しかし「一の宮巡拝会」の御朱印帳は、7,000円もしますが、和紙が袋状になっているだけで中入れの和紙は無いです。
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氷川神社で御朱印を頂いた時、何度も墨をつけながら丁寧に書いて頂きましたが、自分の中では、墨が裏移りするのでは無いかと不安を感じていました。
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自宅に帰って、御朱印帳を確認してみると、やっぱり墨が裏ページまで染み込んでる。
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表裏のページの間に空間を作って確認すると裏のページには、墨が・・・
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全国一之宮専用の御朱印帳は、あまり選択肢が無いため、今回購入した「一の宮巡拝会」の御朱印帳が自分には一番合っているのですが、金額の割に品質的に、今ひとつだったというのが、今回の印象です。

代用するなら

これまで、四国八十八ヶ所霊場巡りで愛用している「高知製本」さんの100ページ以上ある御朱印帳で代用した方が良かったかなと 思っています。

 

 

 

阿波一宮 大麻比古神社

阿波一宮

御祭神:大麻比古大神、猿田彦大神
住所:鳴門市大麻町板東字広塚13

社伝によれば、神武天皇の御代、天太玉命の御孫の天富命が阿波忌部氏の祖を率いて阿波国に移り住み、麻・楮の種を播殖してこの地を開拓、麻布木綿を生産して殖産興業と国利民福の基礎を築いたことにより祖神の天太玉命(大麻比古神)を阿波国の守護神として祀ったのが当社の始まりだと言う。

『日本三代実録』貞観元年(859年)1月27日の条によれば、当社は従五位下から従五位上へ神階が陞叙されている。
『日本三代実録』の記事によれば、さらに当社は貞観9年(867年)4月23日の条で正五位上、元慶2年(878年)4月14日の条で従四位下、元慶7年(883年)11月1日の条で従四位上に神階を進めている。延長5年(927年)には『延喜式神名帳』により式内社、名神大社へ列格された。

平安時代から鎌倉時代にかけて、神仏習合思想に基づき神社を実質的に運営する神宮寺が各地で置かれたが、『諸国一の宮』では四国八十八箇所の1番札所 霊山寺が当社の神宮寺であったと述べている。
しかし、『中世諸国一宮制の基礎的研究』では、別当寺は不詳であるとしている。

『朝野群載 巻6』には、神事に過穢があったことにより阿波国の大麻神が祟り給うたので、使者を遣わし中祓いを科して祓い清めるべしとの承暦4年(1080年)6月10日付けの神祇官奏上が記載されている。

室町時代に成立したとされる『大日本国一宮記』には当社が阿波国一宮として記載されているが、『中世諸国一宮制の基礎的研究』では、南北朝時代に、伝統的な社格を誇り細川氏の守護所にも近かった当社が、敵対勢力であった一宮氏が神主を世襲していた一宮神社に代わる新たな阿波国一宮としての地位を得ることになった、と考察している。

『全国一の宮めぐり』によれば室町時代には細川氏や三好氏、江戸時代には徳島藩主蜂須賀家の庇護を受けたとしている。また、享保4年(1719年)には最高位の正一位の神階が陞叙されている。

明治6年(1873年)に国幣中社へ列格し、明治13年(1880年)に本殿以下が国費を持って造営された。

第2次世界大戦後に旧社格が廃止された後は神社本庁が包括する別表神社となり、昭和45年(1970年)には氏子崇敬者の寄進により祝詞殿・内拝殿・外拝殿が築造された。

 

四国八十八ヶ所1番札所霊山寺から5分ほど歩けば、、平成14年に再建された立派な大鳥居に到着し、ここから大麻比古神社境内までは、緑の続く参道を歩いてさらに10分ほど

長く続く参道
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↓祓川橋
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↓拝殿
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↓大楠f:id:prodigal04:20200118151115j:image

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↓御朱印
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新四国曼荼羅 2番 長谷寺

新四国曼荼羅 2番

山号:豊山
宗派:高野山真言宗
本尊:十一面観音
住所:徳島県鳴門市撫養町木津1037-1
ご詠歌:いくちよも めぐみかわらぬ とよやまに ひかりかがやく のりのあさひは

四国一番霊山寺に通じる撫養街道に面している。
関西から鳴門に着いたお遍路さんたちは、旅の無事を長谷寺の観音さまに祈ってから、一番札所に向かったという。
境内のどまんなかに、あたりを睥睨するように巨大ないちょうの木がはえている。夏には大きな木陰で、秋には鮮やかな色づきで、参拝者の体と心を和ませてくれる。

寺の歴史は、文明12(1480)年、船戸左衛門尉が大和の長谷寺から本尊を勧請したことに始まる。
慶長三年(一五九八)、徳島藩主蜂須賀家政により駅路寺の指定を受け、隆盛を迎える。

境内には駅路寺の石碑や、焦門六世の道阿の句碑があり、長い石段を登ると、金毘羅神社。ここからの眺望は絶景である。

歴史
・1480年 船戸左衛門尉次正によって長谷寺が創建。
・1582年 長宗我部元親が阿波国を攻め、そのときに長谷寺は灰燼に帰したと伝えられている。
・1601年 撫養城主・益田大膳によって本堂(方丈)が再建。
・1995年 イチョウの木が鳴門市天然記念物に指定。

↓入口の向こうにイチョウの木
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↓大日殿
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↓大日殿の内部
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↓本堂
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↓御朱印
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新四国曼荼羅 3番 不動院

新四国曼荼羅 3番

山号:海辺山
宗派:高野山真言宗
本尊:不動明王
住所:徳島県板野郡松茂町広島字宮ノ後

不動院は国道から直ぐの所に在る。境内に隣接して春日神社を興し、瞭らかに神仏習合の祈りを伝えていた。
寺史は次のようである。
後西院天皇の御世。寛文年間(1661)僧宥真が当地巡錫の際、三好長治公の念持仏であった不動明王を本尊に安置。家老、秦野助太夫の子成長の願により一寺を建立した。
また、明治三十四年に成田山のご分身を勧請し"身代り不動"の信仰を集めた。除災招福の霊験は著しく、檀信徒の帰依を篤くして現在に至っている。

新築なった本堂の優美さに刮目。その脇に宝塔と石仏、他に観音堂を構えるが、一山の象徴を龍宮門にみた。法灯赫嘩な精舎である

↓鐘楼門
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↓本堂
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↓不動堂
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↓横にある春日神社
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↓御朱印
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新四国曼荼羅1番 東林院、1番 奥の院

1番 奥の院
新四国曼荼羅1番
阿波北嶺薬師霊場第十六番札所
種蒔大師

山号:八葉山
院号:東林院
寺号:神宮寺
宗派:高野山真言宗
本尊:薬師如来、愛染明王
住所:徳島県鳴門市大麻町大谷字山田59
御詠歌:種蒔きし 稲穂みのりて 栄えゆく 大師の恵み 仰げもろびと

寺伝によれば奈良時代の天平5年(733年)に行基によって建立されたと伝えられている。
かつては、薬王寺・太龍寺・鶴林寺・隆禅寺・神應寺・瑞川院・荘厳院と並ぶ阿波国八門首(阿波八本寺)の一寺院に数えられ、末寺16か寺を持つ大寺であった。
平安時代前期の大同3 - 4年(808年 - 809年)に空海(弘法大師)がここを訪れ、住民に真言の教えを伝えるとともに農業振興を奨励したと言われる。伝承によれば、空海自ら鍬を取り米・麦の種を蒔き、災害の調伏を行ったとされ、これにより当寺院は「種蒔弘法大師」と称されるようになった。
江戸時代前期の元禄13年(1700年)前後に大火に遭い伽藍の大半を焼亡した。これ以後、寺院は縮小した。
昭和59年(1984年)に本坊が新築された。なお、本坊の本尊は愛染明王、本堂(薬師堂)の本尊(札所本尊でもある)は薬師如来だが、当寺の信仰上の中心は本堂よりひと回り大きい大師堂の弘法大師(種蒔大師)である
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↓本堂
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↓大師堂
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↓滅悪不動尊
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↓御朱印(奥の院)
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(新四国曼荼羅)
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新四国曼荼羅 4番 潮明寺

新四国曼荼羅 4番

山号:海門山
宗派:高野山真言宗
本尊:十一面観音
住所:徳島県鳴門市鳴門町土佐泊浦字高砂22

潮明寺は、渦潮で名高い鳴門の海岸近くの静かな環境の中にある。
潮明寺の本尊は十一面観世音菩薩で、永禄5年6月18日、鳴門海中より出現した尊像で奈良時代の作と伝えられている。
境内には、鳴門市史跡の、紀貫之の土佐日記の中の和歌「年ごろを住みし所の名にしおえば 来よる波をもあわれとぞ見る」の歌碑が二基ある。
また、昭和35年に、大師さまの彫刻が彫られた銀杏の大木があり、地域の方の信仰の対象となっているが、銀杏の木の成長と共に、お大師さまのお姿がだんだん中に入られかくれてしまわれるのではと危惧されている。
また、境内の奥の墓地には、阿波水軍の土佐泊城主森志麿守の観音開きの扉がついたお墓もある。

↓方丈
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↓本堂
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↓御朱印
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新四国曼荼羅 5番 長寿寺

新四国曼荼羅 5番

山号:丹照山
宗派:高野山真言宗
本尊:阿弥陀如来
住所:徳島県鳴門市北灘町粟田字東傍示276

瀬戸内海に近い北灘の里に長寿寺がある。古くは葛城神社の杜僧を務めていたが、明治の神仏分離によってその職を断たれた。一言主神の御霊魂を祀る香華寺である。
寺仁は次のように記す。一言主命が当地に御滞留・遂に逝去あそばされるを随従の下臣等、悲痛の余り、草庵を結び、命を祭れるに由来する。
寛永年間二六二四)増泉上人が弘法大師の夢告をうけ、阿弥陀如来を本尊に堂宇を建立。丹照山長寿寺と号す。
その後、火災のため焼失、当地に移り、増宥唯法の中興の祖ありて現在に至る。

↓山門
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↓本堂
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↓大師堂
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↓御朱印
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