タクボンのお遍路日記

2016年、車で逆打ちで遍路。2017~2018年、休日歩き遍路で結願した時の記録を残しています

太宰府天満宮

福岡から電車で1時間程度移動して太宰府天満宮を参拝。 

太宰府天満宮は、菅原道真(すがわら みちざね)公の御墓所(ごぼしょ)の上にご社殿を造営し、その御神霊(おみたま)を永久にお祀りしている神社。 「学問・至誠・厄除けの神様」として、日本全国はもとより広く世のご崇敬を集め、年間に約1000万人の参拝者が訪れている。

道真公は、承和12年(845)に京都でお生まれになられた。
幼少期より学問の才能を発揮され、努力を重ねられることで、一流の学者・政治家・文人としてご活躍なされた。

しかし、無実ながら政略により京都から大宰府に流され、延喜3年(903)2月25日、道真公はお住まいであった大宰府政庁の南館(現在の榎社)において、ご生涯を終えられた。
門弟であった味酒安行(うまさけ やすゆき)が御亡骸を牛車に乗せて進んだところ、牛が伏して動かなくなり、これは道真公の御心によるものであろうと、その地に埋葬されることとなった。
延喜5年(905)、御墓所の上に祀廟(しびょう)が創建され、延喜19年(919)には勅命により立派なご社殿が建立された。

その後、道真公の無実が証明され、「天満大自在天神(てんまだいじざいてんじん)」という神様の御位を贈られ、「天神さま」と崇められるようになった。

長い年月、道真公へのご崇敬は絶え間なく続き、御墓所でもある太宰府天満宮は全国約12,000社ある天神さまをお祀りする神社の総本宮と称えられ、今日でも多くの参拝者が訪れている。

参道f:id:prodigal04:20200306211944j:image土産屋さんが並ぶ参道


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心字池f:id:prodigal04:20200306211854j:image池が漢字の「心」の字に形造られていることから「心字池」と呼ばれている。

太鼓橋
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f:id:prodigal04:20200306211937j:image心字池に架かる御神橋は、太鼓橋・平橋・太鼓橋の三橋からなり、それぞれ過去・現在・未来をあらわしている。

楼門
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本殿
f:id:prodigal04:20200306211900j:image道真公の御墓所に延喜5年(905)8月19日、門弟の味酒安行(うまさけ やすゆき)が祠廟(しびょう)を建て、同19年(919)、左大臣 藤原仲平が醍醐天皇の勅令を受けて御社殿を造営した。
その後、兵火などにより数度焼失したが、筑前国主 小早川隆景が5ヶ年かけて造営し、天正19年(1591)に竣工したのが現在の御本殿。
五間社流造(ごけんしゃながれづくり)で檜皮葺の屋根を備え、築400年以上を経過した現在でも桃山時代の豪壮華麗な様式を見事に伝えている。
国の重要文化財に指定されている。

皇后の梅
f:id:prodigal04:20200306211850j:image大正11年(1922)、貞明皇后(大正天皇后)がご参拝の際に、葉山御用邸よりご持参の梅をお手植えされた梅の継承木。紅の華麗な八重中輪の花をつける。

飛梅
f:id:prodigal04:20200306211844j:image「東風吹かば にほひをこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」道真公を慕って、都から一夜にして飛んできたと伝えられる由縁の御神木。
品種は「色玉垣」(極早の八重咲き)で毎年境内にて一番に咲き始める。梅はこの他に約200種、約6,000本が境内にあり、毎年色鮮やかに咲き誇り、天神の杜は心地よい香りに包まれる。

御朱印
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新四国曼荼羅 50番 高昌寺

新四国曼荼羅 50番

山号:護国山
宗派:曹洞宗
本尊:聖観音菩薩
住所:愛媛県喜多郡内子町城廻117

嘉吉元年(1441年)に防州の大功円忠が常久寺の地に浄久寺を創建した。天文二年(1535年)のとき、曽根高昌がその寺に帰依し寄進し、現在地に移転して堂塔伽藍を整備、彼の死後、護国山高昌寺に改称し隆盛を誇り末寺24ケ寺となった。
文化四年(1807年)、失火により諸堂は灰燼と化すも、本尊と開創の像と山門は難を逃れる。翌年直ちに再建に取り掛かる。その時、大洲藩主加藤泰興の寄進により復活を果たし現在にいたる。なおその再建の際、柳沢村の良質の楠木を賜り各所に使用したため、別名楠木寺と呼ばれる。
伽藍配置が本山永平寺に似ていることから、伊予のミニ永平寺とも称される。

山門

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中雀門
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仏殿
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山門から下ったところにある「石像涅槃仏」
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長さ20m、高さ2m、重さは約200tだとか
中国敦煌にある莫高窟の涅槃仏を基に彫像されたもので、石造の涅槃仏としては日本最大級のもの
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御朱印
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パンフレット
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新四国曼荼羅 53番 善福寺(山田薬師)

新四国曼荼羅 53番

山号:潮光山
宗派:曹洞宗
本尊:薬師如来
住所:愛媛県西予市宇和町西山田1889

山田薬師(善福寺)は、日本三大薬師」の一つに数えられる。境内にある大岩は、1963年の大雨により落下し、大師堂を押しつぶしたが、堂内にあった大師像は奇跡的にも無事だったそうだ。

山門

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本堂(奥)と大師堂(手前)
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大岩
この大岩は昭和38年8月の大雨に大音響とともに山より落下し、五間三間の大師堂は岩の下に埋没
奇蹟にもお大師様は怪我一つなくはるかお堂の外にあり
ときに山田薬師1,250年祭御開帖に当り、新に大師堂を建立奉安し今昔を偲び礼拝す
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大師堂
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御朱印
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新四国曼荼羅 54番 泰平寺

新四国曼荼羅 54番

山号:神田山
宗派:曹洞宗
本尊:釈迦牟尼仏
住所:愛媛県宇和島市神田川原8

今からちょうど400年前(慶長五年)宇和島城築城の際、名称藤堂高虎によって創建され、創建当初は城山下に小さい草庵であったがその後、現在の地に移転された。(移転年代は不明)
昭和二十六年には梵金「平和の鐘」が篤志家により寄進されたが、この鐘「平和の鐘」には世界23ヶ国の貨幣が鋳造されており、この梵鐘をモデルとして同篤志家がニューヨーク国連本部にも「平和の鐘」を寄進し、その「平和の鐘」は国連総会の開会には事務総長自らがこの「平和の鐘」をつき世界平和を祈りつつ総会が開催されている。

馬目木大師のすぐ近くにある泰平寺

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御朱印
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新四国曼荼羅 51番 龍澤寺

新四国曼荼羅 51番

山号:禹門山
宗派:曹洞宗總持寺派
本尊:釈迦如来
住所:愛媛県西予市城川町魚成753

桃山時代の建築様式の七堂伽藍を建っており、3700坪の広大な敷地を持つ、寺院は今も尚、広大な敷地を有している。

龍澤寺は曹洞宗総持寺派の古刹で、末寺56ヶ寺を統轄する、いわば曹洞宗の中本山の格式を有する寺であり、末寺の多くは南予に散在しているが、中には松山あるいは高知県にまで及んでいるものもある。
龍澤寺の創建せられたのは、今からおよそ600年前に当たる元享三年(紀元1323後醍醐天皇代)である。中尾坂城(北宇和郡広見町、旧三島村)城主、平采女正吉貞が発願者となり、徳翁禅師を招請して開山さられ、始めは龍天寺と号した。
この時の寺は古奈良谷(現在のお開山開拓地)にあり古書に”寺の構え三町四方”とあり、現在も当時の礎石と思われるものが、数町の範囲にわたって発見せられ昔の面影がうかがえる。
一説に龍天寺は、徳翁以前に於ては御在所上に在り天台宗であったと言い、現に古瓦を発見することがあると言う。 徳翁以後数世にして次第に荒廃しておよそ100年を経過した。
1433年に薩摩藩主島津元久の長男で、巡航した仲翁守邦禅師が中興し、現在の龍澤寺と改名、鬼瓦に島津家の家紋「丸に十」が刻まれている。

境内の案内看板

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偃月橋
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橋上からの眺め
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仁王門
宝永4年(1707年)当時25世彗禅万丈の時再建された。
仁王尊像作師は天保11年周防国仏師日野岩城義光が謹刻奉納す。
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仁王門を抜けると上に山門が見える
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山門
天保13年(1842年)4月16日落慶。
この山門の建築と彫刻のために当時の龍澤寺大工が京都と愛媛を往復し、約10年の歳月を要して建立されたとの記録が残っている。
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鎮守堂
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中雀門
山門と仏殿の中間に位置する
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左手が衆寮
歴代の家紋付きの鴟尾も展示されている
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右手が客寮
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正面に水鉢と本堂
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衆寮の前を通り本堂へ
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本堂の戸は閉まっているので、開けて中に入る

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客寮の前に御朱印が置かれていた
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隣接する緑地公園
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御朱印
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新四国曼荼羅 52番 永照寺(バラ大師)

新四国曼荼羅 52番

山号:霊光山
宗派:曹洞宗
本尊:釈迦如来
住所:愛媛県西予市野村町阿下5-974

愛媛県西予市野村町にある「バラ大師」(ばらだいし)は永照寺とも呼ばれ、弘法大使ゆかりのお寺。本堂裏には、大師が野宿をした際、とげを封じ込めたと伝えられる「とげなしバラ」が現在でもある。このバラは祈ればご利益が、他の地に移すと災難に遭うと言われる不思議なもの。境内には、他にもぼけ除けと智慧授けの地蔵くぐりや祈願すれば願いが叶うといわれる南無大願王地蔵菩薩もあり、毎年4月と7月には四国八十八ヶ所の土砂を讃仰して、「お砂踏み」も行われている。

手前の墓地にある駐車場に車を停めて永照寺に向かう

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山門はなかった
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手水舎
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本堂
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本堂の左手には水子地蔵
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本堂の左側から裏手へ
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本堂の後ろにあるぼけ除けと智慧授けの地蔵くぐり
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棘無しバラ
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棘無しバラの中に立つ大師像
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確かに普通のバラと比べると棘が少ない
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バラ大師
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六波羅蜜井戸
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南無大願王地蔵菩薩
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御朱印
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武蔵国 一之宮 氷川神社

武蔵国 一之宮
御祭神:須佐之男命・稲田姫命・大己貴命
住所:埼玉県さいたま市大宮区高鼻町1-407

氷川神社は社記によると今から凡そ2,400年以上、第五代孝昭天皇の御代3年4月未の日の御創立と伝えられている。

御祭神、須佐之男命は天照大御神と月読命とともに伊弉諾命から生まれた三貴子の一神で、八俣大蛇退治など力強く雄々しい神として知られている。
大己貴命は須佐之男命の御子に坐して国土を天孫瓊々杵命(ににぎのみこと)に御譲りになられた国土経営の神。
稲田姫命は須佐之男命の御妃で大己貴命の御母神。
この御三神をここにお祀りされたのは国土経営、民福安昌祈願のためであって、大和朝廷の威光が東方に及ぶにつれて、当神社の地位も重くなったと考えられている。

神社の鎮座する地は、大宮台地の上にあり、その中でも鼻のように高く突き出た位置にある為、一帯の地名は高鼻町と呼ばれている。かつて神社の東側には見沼と呼ばれる広大な湖沼があり、豊かな土壌を形成する元となっていた。「神沼」、「御沼」とも呼ばれた見沼は正に豊かな恵みを与えて下さる神聖な水をたたえた湖沼で、江戸時代に開発された見沼溜井は周囲約39キロに及ぶ大貯水池だった。現在境内にある神池は見沼の名残であるといわれ、神域の蛇の池からの湧水が豊富に注がれている。
地理的な点から見ても、見沼をひかえ土地は肥沃で東西南北に交通の便もよく、人々は益々繁栄し今日の基をなすに至ったものと思われる。

第十二代景行天皇の御代、日本武尊は当神社に御参拝し東夷鎮定の祈願をなされたと伝わっている。第十三代成務天皇の御代には出雲族の兄多毛比命が朝廷の命により武蔵国造となって氷川神社を奉崇し、善政を敷かれてから益々当社の神威は輝き格式を高めたと伝わっている。
今から凡そ1,200年前の聖武天皇の御代には武蔵一宮と定められ、醍醐天皇の御代に制定された延喜式神名帳には名神大社として、月次新嘗案上の官幣に預かり、又臨時祭にも奉幣に預かる等、歴朝の崇敬を殊の外厚く受けていた。
また武家時代になっては、鎌倉・足利・北条・徳川氏等相次いで当社を尊仰し、治承四年源頼朝公が土肥次郎実平に命じて社殿を再建、文禄5年8月には徳川氏が伊奈備前守忠次を奉行として社頭残らずを造営せしめ、寛文7年3月には阿部豊後守を奉行として社殿の建立をしている。この社殿は御嶽神社、天津神社の社殿として現在も残っており、同時に建立された門客人神社社殿とともに市の文化財となっている。

氷川神社の参道は、さいたま新都心駅近くにある「一の鳥居」から、約2kmケヤキを中心としたおよそ700本の樹木が続いている。

大宮駅近くの「二の鳥居」
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大宮公園入口にある「三の鳥居」
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「三の鳥居」を抜けたところに大きな夫婦楠という二本に分かれた楠がある。f:id:prodigal04:20200211171001j:image

境内の入口にある楼門
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楼門を抜けると正面にある舞殿
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舞殿の横を抜けると拝殿が見える。
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拝殿
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御朱印
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知知夫国 秩父神社

御祭神:八意思兼命・知知夫彦命・天之御中主神
住所:埼玉県秩父市番場町 1-1

秩父神社の創建は、平安初期の典籍『先代旧事紀-国造本紀-』によれば、第十代崇神天皇の御代に知知夫国の初代国造に任命された八意思兼命の十世の子孫である知知夫彦命が、祖神をお祀りしたことに始まるとされている。武蔵国成立以前より栄えた知知夫国の総鎮守として現在に至る。
元慶2年(878年)には神階正四位下に進み、延長5年(927年)に編算された『延喜式』にも掲載されるなど、関東でも屈指の古社のひとつに数えられている。
また、中世以降は関東武士団の源流、平良文を祖とする秩父平氏が奉じる妙見信仰と習合し、長く秩父妙見宮として隆盛を極めたが、明治の神仏判然令により秩父神社の旧社名に復した。
その後、昭和3年には國幣小社の社格となり、現在は神社本庁の別表神社となっている。
平成26年には御鎮座2,100年を迎え、同年12月3日の例祭において天皇陛下より臨時御奉幣を賜り盛大に祭典が執り行われた。
現存するご社殿は、天正20年(1592年)に徳川家康公が寄進されたもので、江戸時代初期の建築様式をよく留めていることなどから、埼玉県の有形文化財に指定されている。

鳥居を抜けると神門が見えてくる
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拝殿
f:id:prodigal04:20200210190852j:image権現造(ごんげんづくり)と言われる建築様式で、鮮やかな色の彫刻が施された豪華な作りが特徴。
江戸時代初期に活躍したとされる、日光東照宮や出雲大社なども手がけた左甚五郎(ひだりじんごろう)の作品が多くあり、見どころとなっている。

拝殿正面の左右に「子宝、子育ての虎」
正面左側の「子宝 子育ての虎」は江戸時代の初期に活躍していた左甚五郎(ひだりじんごろう)が彫ったとされている注目の彫刻。
徳川家康公の威厳や、祭神を守る神の使者として作られたものとされている。

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親の心得
「赤子には肌を離すな 幼児には手を離すな
 子供には目を離すな 若者には心を離すな」
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拝殿の側面
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本殿の側面の「お元気三猿」
「日光東照宮」では「見ざる・言わざる・聞かざる」という表情をした猿が有名ですが、秩父のお猿さんは正反対。
秩父神社の「お元気三猿」は「よく見て・よく聞いて・よく話す」をコンセプトにしている。

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本殿後ろ側の「北辰の梟」
体の向きは正面にある本殿へ、頭は正反対の北を向いている。
この梟が見つめている方角に「秩父神社」の祭神である「妙見様」が出現すると言われ「秩父神社」と密接に関わる鳥と考えられている。

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本殿の側面の「つなぎの龍」は改装中で見る事は出来なかった
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ラミネートで掲示された今後の改修予定
映り込みが激しいので、ホワイトボード撮影モードで撮影したが、反射している箇所の色が変化して上手く撮れなかった。
令和5年まで改修が続くみたい。
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境内にあった「乳銀杏」
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御朱印
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上野国 一之宮 貫前神社

上野国 一之宮
主祭神:経津主神(ふつぬしのかみ)、姫大神(ひめおおかみ)
住所:群馬県富岡市一ノ宮1535

貫前神社(ぬきさきじんじゃ)は群馬県富岡市一ノ宮に鎮座する1,400年の歴史を持つお社。
御祭神は「経津主神」と「姫大神」で、現在の社殿は3代将軍徳川家光公の命によって建てられた。
江戸時代初期の漆塗りで極彩色の社殿は国の重要文化財に指定されている。
また、年間祭儀が71回あり御戸開祭(みとびらきさい)や鹿占神事(しかうらしんじ)など古くからの祭儀が数多く残るのが特徴。

登り坂の参道の階段を登ったところに大鳥居が見える
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大鳥居
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大鳥居から少し緩やかな登り道を進むと総門がある。
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総門から石段を下った場所に社殿がある「下り宮」
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本殿、拝殿、楼門、回廊は、江戸幕府第3代将軍徳川家光による寛永12年(1635年)の造営。
元禄11年(1698年)、第5代綱吉による大規模な修理で極彩色の漆が塗られ、現在の華麗な造りとなった。

楼門
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拝殿
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拝殿の奥に本殿
単層2階建てで「貫前造」と呼ばれる独特な造りである。
また、内部は2階構造になっていて上段に神座が据えられいる。

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本殿の上部に、稲含山に向けて「雷神小窓」が設けられている。
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本殿の裏側
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藤大杉
本殿の裏にそびえ立つ樹齢1200年の巨杉。

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平将門討伐に出征した藤原秀郷が、戦勝祈願で年齢と同じ36本の杉を奉納したうちの1本とされる。
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楼門の外にある「月読神社」
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御朱印
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「一の宮巡拝会」の御朱印帳の残念なところ

一之宮参拝のきっかけ

仕事で全国にある自社ビルに出張する機会が多く、今回、出張予定の埼玉で1日休暇を取得する事になったので、埼玉の観光地を調べていると、支店のすぐ近くに武蔵国一之宮 氷川神社があるのを初めて知って、ビックリ。

氷川神社のある大宮公園や氷川神社の参道は歩いた事はあったが、まさか一之宮とは。

一之宮とは

一之宮とは令制国で最も社格の高いとされた神社の事で、諸国において由緒の深く信仰が篤い神社であり、開拓神として土着の神が祀られている事が大半。
古代から土着の神として最も崇敬された神社が必然的に一之宮となっている。
律令制において国司は任国内の諸社に神拝すると定められていた。
そのため一之宮の起源は国司が巡拝する神社の順番にあると云われいて、国司が赴任後に一番最初に神拝していた神社が一之宮であった。
律令制崩壊の後も、その国の第一の神社として一之宮の称号は使われ続けた。
通説では十一世紀から十二世紀にかけて成立したとされる。
一之宮巡拝の歴史は、江戸時代前期の神道家・橘三喜が、延宝三年(1675)から元禄十年(1697)まで、23年かけて全国の一之宮に参拝し、その記録を『諸国一宮巡詣記』全13巻として著した事が知られている。

一之宮を参拝してみようかな

四国八十八ヶ所霊場の流れで、四国の一之宮(大山祇神社・田村神社・大麻比古神社・土佐神社)は、参拝済み。

その他の自社ビルの周りに自社ビルがあるか調べてみると、他にも支店から、少し足を伸ばせば参拝できる一之宮が数ヶ所有る事が分かり、一之宮巡りをしてみようかと思い、専用の御朱印帳を探してみた。

一之宮専用御朱印帳

一之宮専用の御朱印帳を販売しているところは少なく「全国一の宮会」、「全国一の宮巡拝会」、「一の宮巡拝会」で販売していた。

全国一の宮会:11×16cm(A6版)、1,000円

全国一の宮巡拝会:18×26cm(B5版)、5,170円

御朱印 | 一の宮とは | 一の宮巡拝会:18×26cm(B5版)、15,000円と7,000円の2種類

自分は、B5版の大きい御朱印帳の方が好みで、B5版の安価な「全国一の宮巡拝会」が販売している御朱印帳にしようかと思ったが、どうも、この御朱印帳、ツルツルの紙質で墨を吸わないとの情報があり、和紙を使用している「一の宮巡拝会」が販売している四国和紙の御朱印帳(7,000円)に決めた。

購入についてのお問合せ | お問い合わせ | 一の宮巡拝会

注文は、上のリンク先のフォームから行えた。
支払は、商品と一緒に届く郵便振込用紙での振込のみ。

一の宮巡拝会 御朱印帳

フォームから注文後、1週間程度で、商品が届いた。

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中のページには各一之宮の名前と御祭神が印刷されている。
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残念なところ その1

ただ、この御朱印帳、何点か残念なところあった。

まず、100ペーシ以上ある御朱印帳にしては、かなり薄く華奢。
表紙と裏表紙が、写真のようにペラペラ。
また、和綴じの紐が細い。
気をつけて扱わないと、表紙の端のほうが折れたり、紐が切れたりしそうで怖い。
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ちなみに、四国八十八霊場の納経帳の表紙は、厚みがあり、曲がらない物しか見た事がない。
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「一の宮巡拝会」の御朱印帳の厚みはこんな感じ。
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納経帳は、こんな感じ
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残念なところ その2

もう一つの残念なところ

四国八十八ヶ所霊場の納経帳は、そこそこの金額になると、墨の裏移り防止の為に、下の写真のような「中入れ製本」「三重折り」と呼ばれる袋状になった和紙の間に、もう一枚、和紙が挟まれている物が多い。
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しかし「一の宮巡拝会」の御朱印帳は、7,000円もするが、和紙が袋状になっているだけで中入れの和紙は無い。
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氷川神社で御朱印を頂いた時、何度も墨をつけながら丁寧に書いて頂いたが、自分の中では、墨が裏移りするのでは無いかと不安を感じていた。
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自宅に帰って、御朱印帳を確認してみると、やっぱり墨が裏ページまで染み込んでる。
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表裏のページの間に空間を作って確認すると裏のページには、墨が・・・
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全国一之宮専用の御朱印帳は、あまり選択肢が無いため、今回購入した「一の宮巡拝会」の御朱印帳が自分には一番合っているが、金額の割に品質的に、今ひとつだったというのが、今回の印象。

代用するなら

これまで、四国八十八ヶ所霊場巡りで愛用している「高知製本」さんの100ページ以上ある御朱印帳で代用した方が良かったかなと 思っている。