タクボンのお遍路日記

2016年、車で逆打ちで遍路。2017~2018年、休日歩き遍路で結願した時の記録を残しています

新四国曼荼羅 75番 地蔵院

新四国曼荼羅霊場 第75番札所
阿波六地蔵霊場 2番札所

山号:如意山
本尊:日惹地蔵菩薩
宗派:真言宗大覚寺派
住所:徳島県徳島市名東町1-335

ご詠歌:もろびとの 願いをかなう 地蔵尊 みどりの山の ふところにして

平安時代初期の弘仁年間(810年-824年)に弘法大師が四国巡錫の折に女人の出産の安産を願い、地蔵菩薩を安置したことが始まりといわれている。
江戸時代には徳島藩の庇護を受け、藩主蜂須賀家の安産祈願所となった。
現在も安産祈願の参拝者が見られる。

歩き遍路道沿いにある地蔵院ですが、参拝は初めて

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本堂
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大師堂f:id:prodigal04:20200702211216j:image

御朱印

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14番 奥の院 慈眼寺

14番札所 常楽寺 奥の院

山号:妙雲山
本尊:十一面観音(子安観音)
宗派:高野山真言宗

常楽寺の寺領に位置する。
本堂には十一面観世音菩薩を本尊とし、脇仏に弁財天、毘沙門天を安置している。
本堂東前面に、生木地蔵尊の小堂あり(昔 越中 高岡の住人、田中喜八なる者境内に通夜中大師より夢告あり桧に地蔵尊を刻め二願を叶えしめん)と、以後祈願成就する者跡をたたず。
しかるに昭和29年9月の台風により古桧倒壊の被害を受けたが、尊像は暇もなく原存し霊験益々新たかである。
なお倒木の整理の際霊威にふれて熱病に侵されし者もあった程不思議な尊像である。

歩き遍路の時に、一度、立ち寄った奥の院に、再度参拝

本堂

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大師堂
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生木地蔵
窓越しに生木地蔵を見る事が出来ます
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御朱印は常楽寺で頂けます

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13番 奥の院 建治寺

13番札所 奥の院
四国三十六不動尊霊場 第12番札所

山号:大滝山
宗派:東寺真言宗
本尊:金剛蔵王大権現

本尊真言:おん ばざらくしゃ あらうんじゃ うん
ご詠歌:わがむねに なやみ苦しむ 心をば 神の威徳で 建て治す寺

天智天皇の治世(661年 – 671年)に役小角が開基したと伝えられている
弘仁年間(810年 – 824年)に空海(弘法大師)が四国巡礼をしている際に本寺を訪れ、修行したと伝わる。
その際、金剛蔵王権現を感得し、その尊像を刻み岩窟の奥深くに祀ったという。
時代は下って、天正13年(1585)蜂須賀家政が阿波藩主として着任後、戦に出陣した際、お告げを受け大勝した。
帰国後、そのお告げは当寺の本尊の化身と悟り、城下に堂を建立し薬師如来と共に持ち帰って城の守り本尊とした。
その後、奇異なことが続き、本尊が帰りたいと望んでいることがわかり、仏師に同じものを造らせそれを寺に納めたものの依然に奇異なことは続いた。
ついに手元に置くのを断念し、寺に返却したことから、本尊の金剛蔵王権現が弘法大師作の阿形と、蜂須賀公の彫らせた吽形の阿吽二体となった。
安政時代には、貞阿上人により興隆する。

急勾配の坂を登った先にある建治寺
駐車場に車を止めて境内に進む

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大師堂の前に建治寺の縁起
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厄除大師
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本堂
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駐車場からの眺め
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御朱印

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新四国曼荼羅 88番、21番 奥の院 黒滝寺

新四国曼荼羅霊場第88番札所 
第21番太龍寺 奥の院

山号:龍王山
宗旨:古義真言宗
宗派:高野山真言宗
本尊:十一面観音
御詠歌:うす雲に はるかに見ゆる 黒滝寺 瑠璃の岩間に 出(いづ)る加持水
住所:徳島県那賀郡那賀町阿津江字黒滝山5

旧木沢村の黒滝山山上、標高約760mの地点にあり、山岳仏教発祥の地と伝えられている。
寺伝によれば、延暦12年(793年)空海(弘法大師)が太龍ヶ嶽(現在の太龍寺)で修行中、神童(神龍とも伝えられる)が現れ「那賀川上流にある黒滝山で大龍が暴れ、人々を苦しめている」と告げた。
空海は那賀川を遡り、黒滝山を間近にしたところで一夜を明かした。
ここで虚空蔵菩薩を刻み小堂を建てた。空海はこの地を祈祷名と名付け、後に木頭名と呼ばれるようになったと言われる。
黒滝山上に登った空海は山上の湖に棲む大龍を前に十一面観音を刻み降伏退散の調伏を行った。これにより大龍は湖を出て竜王淵へ退散した。
降伏した大龍は空海に「閼伽井の水」という泉を贈った。
これが当寺の開創と伝えられている。境内には現在もこの霊水が湧き出しており、これを飲むと苦難や難病に効くと言い伝えられている。

戦国時代には、この地の豪族であった細川貞光が寺院周辺に砦を築いた。
また、当時の寺院には僧兵がおり山上は要塞化していた。天正10年(1582年)四国制覇を目指す長宗我部元親の阿波進攻の際に、ここを攻撃し寺院は砦とともに焼亡したと伝えられている。
この時、境内にあった池は僧兵や兵士の血で真っ赤に染まったと言われる。この池は現在、地形の変化により干上がっており湖跡庭園となっている。

江戸時代前期の元禄元年(1688年)快弁により寺院が再興された。再興の日が8月17日と伝えられており、快弁は当日、完成を祝って踊ったと言われる。
これを祝して毎年8月17日には「黒瀧まつり」が催され柴燈護摩が焚かれ、快弁が伝えたという黒瀧寺踊りが行われる。
現在見られる建物は、享保元年(1716年)から昭和31年(1956年)に建てられたものである。

黒滝寺までの道は、細い山道をかなりの距離走る事になります
こんな山奥に霊場があるのかと思うくらいの山奥です

着いてみると、広い境内に、結構立派な建物があります

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山門f:id:prodigal04:20200621091849j:image
一段高いところに本堂f:id:prodigal04:20200621091856j:image
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大師堂f:id:prodigal04:20200621091846j:image
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新四国曼荼羅霊場の御朱印f:id:prodigal04:20200624101652j:image

新四国曼荼羅 72番 妙法寺

新四国曼荼羅霊場 72番札所 

山号:宝珠光明山
宗派:真言宗御室派
本尊:阿弥陀如来
住所:徳島県名西郡神山町上分江田1206

創建年は不詳。
普寂が中興したと伝わる。
雨乞いの寺として知られており、境内には強い水脈がある。新四国曼荼羅霊場の札所であり、毎年4月15日には曼荼羅祭が開催される

73番 上一宮大粟から72番 妙法寺まで来るので行く場合、細い山道を走る事になります

本堂

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新四国曼荼羅霊場の御朱印f:id:prodigal04:20200624101625j:image

12番 奥の院 蔵王大権現

新型コロナウィルス対策による県をまたぐ移動の自粛が解除された事もあり、焼山寺の奥の院へ

奥の院は、焼山寺山頂上 (標高938m)にあります
本堂とは約300mの高低差
行き方がよく分からなかったので、納経所で訪ねると丁寧に教えてくれました
また、安全確認のために名前も聞かれました。
戻ってきたら、名前を言うようにとの事
この調子だと、何も言わずに奥の院に行って、納経所で奥の院の御朱印を頂こうとすると怒られるような・・・
道順を聞いといて良かった

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本堂の一段下の食堂の角を左折f:id:prodigal04:20200621092535j:image
宿坊らしき建物の横を抜け、左下に下りる坂を下ります
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登りのアスファルトの道と合流して、そのまま直進f:id:prodigal04:20200621092647j:image
雪かき用のトラクターを保管している建物の横を抜けて登り坂に進みますf:id:prodigal04:20200621092658j:image
ココから奥の院まで、1,100mf:id:prodigal04:20200621092557j:image
コンクリート舗装からすぐに山道に変化しますf:id:prodigal04:20200621092516j:image
広葉樹の落ち葉が積もって、意外に滑るf:id:prodigal04:20200621092541j:image
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道には「アカマツ」「ソヨゴ」など木の名前が書かれた立て札がありましたが、
どうも、この立て札、道標になっているようです
道が少し分かり難くなっている場所も、立て札を探せば正しい道が分かりました
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大蛇封じ込めの岩の標識
ココで約半分f:id:prodigal04:20200621092654j:image
大蛇封じ込めの岩
弘法大師は、神通力を持ち火を吐いて村人を襲う大蛇がこの山に棲んでいることを聞き退治に向かった。
大蛇は全山に火を放って妨害したので摩盧(水輪)の印を結びながら進むと、山頂の岩窟に閉じこもって抵抗した。
そこで虚空蔵菩薩や三面大黒天に祈願するととうとう大蛇を岩窟の中に封じ込めることができたf:id:prodigal04:20200621092651j:image
残り半分、奥の院に向かいます
落ち葉は少なくなって歩きやすくなるf:id:prodigal04:20200621092638j:image
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竜王窟と奥の院の分岐
奥の院へは、折り返して登りますf:id:prodigal04:20200621092702j:image
ココには木の名前の立て札は無かったが、遍路道の道標があったので迷う事は無かったf:id:prodigal04:20200621092644j:image
勾配がキツくなってくるf:id:prodigal04:20200621092523j:image
杖立権現の祠←奥の院ではありません
『奥の院』の標識の横の矢印を見逃すと間違える可能性大
納経所の方も間違える人がいると言っていたf:id:prodigal04:20200621092504j:image
ココからは勾配は緩くなるf:id:prodigal04:20200621092705j:image
尾根沿いを進む
道の両側は絶壁ですf:id:prodigal04:20200621092641j:image
最後の急勾配の上り坂の上に、奥の院の建物が見えてきたf:id:prodigal04:20200621092520j:image
12番 焼山寺 奥の院 蔵王大権現の祠f:id:prodigal04:20200621092712j:image
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奥の院からの眺め
かなり高いところまで登ってきたのが、よく分かるf:id:prodigal04:20200621092554j:image
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焼山寺の納経所で奥の院の御朱印を頂きました
歩き遍路の時、番外札所用の納経帳を持ち歩いてなかったので、柳水庵、一本杉庵の御朱印も頂こうと思っていたのですが、参拝当日にしか押さないとの事で頂く事は出来ませんでした
4番と12番の納経所は、一人1冊しか御朱印をしないので、有名ですが、当日しか押してくれないとは・・・

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新四国曼荼羅 73番 上一宮大粟神社

新四国曼荼羅霊場73番 

御祭神:大宜都比売命
住所:徳島県名西郡神山町神領字西上角330

社伝によれば、大宜都比売神が伊勢国丹生の郷(現 三重県多気郡多気町丹生)から馬に乗って阿波国に来て、この地に粟を広めたという。

『延喜式神名帳』に記載される式内大社「阿波国名方郡 天石門別八倉比賣神社」の論社の一つである。天石門別八倉比賣神社は神亀5年(728年)に聖武天皇の勅願所となり、元暦2年(1185年)には正一位の神階を授けられた。平安時代には、現在の徳島市一宮町に当社の分祠として一宮神社が創建された。

明治3年(1870年)、社名を「埴生女屋神社」と改められたが、氏子の請願により、明治28年(1895年)に現在の上一宮大粟神社となった。

さすが元一宮、鳥居がでかい
小さな集落なので、一際目立っていた
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鳥居と山門
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山門を抜けた参道の奥に拝殿が見える
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拝殿
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御朱印は、ココでは無く、72番 妙法寺で頂きます
近くの霊場の納経所に貼られていた通達
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妙法寺で頂いた新四国曼荼羅霊場の御朱印f:id:prodigal04:20200624101528j:image

11番 奥の院

第11番 藤井寺 奥の院

本尊:大日如来

藤井寺から焼山寺へ向かう遍路道f:id:prodigal04:20200621093430j:image

遍路道に入ると、すぐにミニ八十八ヶ所が始まる
歩き遍路の時は、日が明ける前の薄暗い中を歩いたので奥の院がある事に全く気が付かなかったf:id:prodigal04:20200621093440j:image

ここから伊予国f:id:prodigal04:20200621093437j:image

50番 繁多寺を越えたところで広くなっている所がある
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そこのあるのが奥の院f:id:prodigal04:20200621093433j:image
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辺りは小さな滝になって景色が綺麗f:id:prodigal04:20200621093444j:image

御朱印は藤井寺で頂けるf:id:prodigal04:20200624101457j:image

71番 報恩寺

新四国曼荼羅霊場71番札所
阿波西国三十三観音霊場29番札所

山号:速成山
宗派:真言宗御室派
本尊:愛染明王
住所:徳島県吉野川市鴨島町飯尾728

創建は平安時代。
境内には鎌倉時代末期から室町時代初期にかけて建てられた板碑があり、1981年(昭和56年)12月1日に吉野川有形文化財に指定された。

報恩寺境内のイチョウの木の横にある五輪の塔には、室町時代に足利義政に仕えた飯尾常房の墓がある。

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新四国曼荼羅霊場の御朱印f:id:prodigal04:20200624101409j:image

10番 奥の院 八祖大師

10番切幡寺 奥の院 八祖大師 

「八祖大師」とはインドから中国を経て日本へと密教を伝えた正統の八人の祖師のこと

第一祖 龍猛菩薩(りゅうみょうぼさつ)
 大乗仏教の大学者で、真言密教の奥義を感得したと伝えられる高僧。

第二祖 龍智菩薩(りゅうちぼさつ)
 龍猛菩薩より密教を相承したといわれ、金剛智三蔵に七年にわたって
 真言密教の奥義を伝えた。

第三祖 金剛智三蔵(こんごうちさんぞう)
 中インドに王子として生まれ、玄宗皇帝に国師と仰がれ真言密教の儀式を伝える。
 金剛智訳とされる経典が現存する。

第四祖 不空三蔵(ふくうさんぞう)
 金剛智三蔵の弟子として二十五年間仕える。三代皇帝の国師と仰がれる。

第五祖 善無畏三蔵(ぜんむいさんぞう)
 東インドの王子として生まれ王位を継ぐが出家。
 真言密教の根本経典である「大日経」を翻訳した。

第六祖 一行阿闍梨(いちぎょうあじゃり)
 唐代屈指の学問僧といわれ、金剛智三蔵より「金剛頂経」系の密教を受け継ぐ。

第七祖 恵果阿闍梨(けいかあじゃり)
 弘法大師の師にあたる中国人僧。
 貞元(じょうげん)二十一年(805)で病に倒れると、
 弘法大師に法を伝えることにして灌頂を授けた。
 大師はこれを日本に伝え真言宗を開いたと云われる。

第八祖 弘法大師

本堂の左側を通り大塔の方へ登っていく

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途中、不動堂がある
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大塔f:id:prodigal04:20200621094022j:image
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大塔の前を通り抜け奥に進むf:id:prodigal04:20200621093941j:image

奥の院への道標f:id:prodigal04:20200621094017j:image

獣除けの柵を抜けて進むf:id:prodigal04:20200621093958j:image
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少し登ったところに八祖大師の祠があるf:id:prodigal04:20200621094010j:image
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奥の院の内部f:id:prodigal04:20200621093955j:image
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御朱印は切幡寺の納経所で頂けるf:id:prodigal04:20200624101434j:image