タクボンのお遍路日記

2016年:車で逆打ちで遍路。2017~2018年:休日歩き遍路。2021年:自転車遍路の記録を残しています

四国八十八ヶ所霊場 巡礼

四国八十八ヶ所霊場 巡礼のための準備物や参拝方法について、まとめてみました。

巡礼の種類

遍路が札所を巡礼することを「打つ」と言います。
これは、昔、木製や金属製の札を大師堂や本堂の柱や長押に打ちつけた納札の慣習に由来しています。

「順打ち」と「逆打ち」

1番から88番へと番号の順番に巡礼することを「順打ち」と言い、88番から1番へ巡礼するのを「逆打ち」と言います。

一般的に遍路は「順打ち」で行われていて、道標や案内図は、だいたい順打ちを前提に表示されているため「逆打ち」は多くの苦労や困難を伴う事から、「逆打ち」1回は「順打ち」3回相当のご利益、功徳があると言われています。
また、衛門三郎(四国遍路の開祖)の伝説から「逆打ち」だと、どこかで弘法大師に会えると言われています。

「通し打ち」と「区切り打ち」

全区間を1度に打ち上げるのを「通し打ち」、適当区間に区切って打つのを「区切り打ち」と言います。

「区切り打ち」は、公共機関等を利用して、打ち始めの札所まで行き、大師堂で打ち始めの報告とご加護の祈願をしてから行に入ります。
遍路行を終えるときは、札所の大師堂で打ち止めの報告と感謝を込めたお経をあげてから行を解きます。
次に打ち始めるときは、この打ち止めした札所から始めるというやり方です。

「完全歩行」と「公共機関併用歩行」

歩き遍路では、遍路道の全区間を徒歩貫徹の意思で巡礼する人が多数。

ただ、体力を考慮して長距離歩行を要するところは、列車、バス等の公共機関を利用するのも一つの方法。公共機関を利用することで、その土地の生活に接し、地元の人々とも触れあえる機会も多くなります。 

ohenro.prodigal04.site

 

お礼詣り

打ち始めの場所について決まりはなく、最寄りの札所から始めても良いが、決意も新たに1番札所 霊山寺から打ち始める人のほうが多い。
1番札所 霊山寺から打ち始めると、88番札所 大窪寺で結願となります。
従来から遍路の間では「お礼詣り」という習わしがあり、「お礼詣り」は、本来、打ち始めの札所へするのが建前ですが、行程の都合で最寄りの札所で「お礼詣り」して帰る方法もとられています。

高野山詣り

一般的に、遍路は四国巡礼に先立ち、あるいは満願後に高野山奥之院に参詣しています。

参詣時期に決まりはありませんが、関西以東から四国に来た人々は、1番札所 霊山寺の「お礼詣り」を済ませたその足で、徳島から和歌山へ渡って高野山へお詣りする人が多い。

京都三弘法詣り

四国巡礼に先立ち、道中安全を祈願して京都の3ヶ寺で菅笠(東寺)・金剛杖(仁和寺)・納札箱(神光院)を授かり、それらを身につけて巡礼する風習。
昭和30年代頃にいったん廃れましたが、平成24年(2012)に「京都三弘法霊場会」が結成され、半世紀ぶりに復活。
現在は、菅笠・金剛杖・納札箱の実物の代わりに、ストラップ型のお守り(各500円)と木札守(各200円)が用意されています。

 

巡礼の準備物

車・バスツアーの場合

輪袈裟、納経帳、念珠、さんや袋、札、ロウソク、線香、経本、風防ターボライター等が必要なります。

詳しくは、遍路を始めた頃の準備物の記事があるので、そちらを参照して下さい。

1番札所 霊山寺、2番札所 極楽寺では、一通りの必要品が揃っているので、仮に何も準備して無くても、ココで購入することができます。
ただ、自分の気に入った物を購入しようと思うと、事前にネット購入する方が良いです。
遍路用品は、意外に種類が多く、巡礼中に他の人が持っている輪袈裟・白衣・納経帳を見て、「アレ、良いな~」と思う事が多々あります。
そういう意味でも、安易に揃えてしまうと後悔したり、買い直したりすることになります。
特に納経帳は、回り始めると途中で替えることが難しいので、よく検討して購入することをお勧めします。

歩き遍路の場合

遍路用品以外は、現地調達は難しいので、事前に準備が必要になります。

遍路用品の取扱上の留意点

金剛杖

金剛杖は遍路をお導き下さる「弘法大師」の化身とも言われています。
杖の本体は卒塔婆を表す物で、上部にこれを覆う帽子をつけて、ココは握らないようにしましょう。

また、杖は遍路行の精神的な支柱であることから、心のこもった取扱をしましょう。

杖より先に自分を休めるな。
腰を下ろしてから杖を置くな。杖を先に休めてから腰を下ろす。

汚いところに置かない。便所では外に置く。

宿に着けば、まず杖の先を清水で洗い、タオルで拭き取る。
杖を洗うときは、心を洗う気持ちで。

杖を部屋の一番上座か床の間に立てる。
杖を立て、まず合掌して御宝号をあげ、お礼の言葉を述べてから一日の行を解く。

朝、出発の前に、杖に合掌してお導きをお願いする。

杖先が摩耗して広がれば、路面に擦ってのける。
刃物で削ってはいけない。

橋の上では突かない。

白衣

白装束に身を固めると気分が引き締まり、修行の自覚ができます。

遍路の存在が目立つので交通安全着となります。

最も効果があることは、着用した人の個性を包み込み老若男女を消して一人の遍路となるところです。

白衣に御宝印を戴く場合、白衣は、道中衣と判衣の2着を準備します。内襟の下方裏面に住所・氏名を書いておく。
判衣は八十八ヶ所の御宝印を戴く白衣の事で、御宝印は御本尊佛様を表したものですから、判衣は丁重に扱い、下積みしたり、汚水物に近づけたりしないように。
また、洗うことも出来ないので、汚さないように気をつけましょう。
判衣は、道中衣として着用してはいけません。
判衣は巡礼の功徳がこもっており、家宝として遺族に伝えるものですが、冥土へ旅立ちの晴着でもあると言われています。

菅笠

同行二人の笠は、修行中は笠を被ったままで参拝します。
お堂の中でも、僧の前でも笠をとらなくてもよいです。
ただ、脱靴入室の時は、笠をとるようにしましょう。

輪袈裟

輪袈裟は霊場参拝の正装具であると同時に、遍路の道中修行の身支度として着用する事になっています。
ただし、手洗い等の不浄の場所に入る際は取り外すこと。

数珠(念珠)

数珠は「真言宗用」のものを使うほうが良い。
掛け方は、浄明珠側を右手中指に、緒留側を左手人差し指に掛け、房を内側に入れます。
掛ける前に輪をひと捻りしてから掛けます。

合掌礼拝の際には数珠を軽く3度摺ります。これは、煩悩を摺り減らすという意味からですが、あまり摺りすぎると仏様の功徳をも無しにしてしまうので3度以上は摺らないことになっています。

合掌しないときは、左手の親指と人差し指の間に掛けておきます。

仏様を拝むときは一匝、左手に持つときは二匝にして人差し指のところで持ちます。置くときは三匝に巻き、両房を内側にたたみ置きます。

納経帳

納経帳は丁重に扱い、荷物の下敷きにならないようにしましょう。
霊場の礼拝、読経を終えてから納経の手続きをとるのが正しい順序。

結願近くになると納経帳の盗難に気をつけましょう。
御朱印済みの納経帳は、高値で売買されているようです。
末尾に、住所・氏名を墨書きしておくと、盗難に遭っても、消すことが出来ないとのコト。

納経掛軸

住所、氏名を記入しておきます。納経所では、納経帳と一緒に差し出します。

八十八ヶ所と高野山奥之院の納経を済ませてから表装します。
表装された掛軸は、八十八ヶ所御本尊曼荼羅ですから丁重に保管し、彼岸、盆、命日などには床の間等に飾り、お線香を供え礼拝しましょう。これを怠れば家運傾くとさえ言われています。

 

霊場での参拝の順序と作法

参拝の順番

  1. 山門にて、合掌一礼(仏様が山門まで迎えに来て下さっていると感じます。帰るときも見送って下さいます)
  2. 参道は、左側通行が原則。
  3. 鐘楼で鐘を突きます。
    社寺によっては突けないところもあります。
    突ける社寺でも、早朝などは避ける等の近隣に配慮しましょう。
    帰るときは、出鐘、戻り鐘といわれ縁起が悪いので鐘は突かない。突いてしまった場合は、再度、参拝すればOKです。
  4. 手水場で、手と口を清めます。
    服装を整え、輪袈裟を掛け、念珠を持つ。
  5. 礼拝順序は、本堂、大師堂、その他の堂。
  6. ロウソク(一本)と線香(三本)とお賽銭をあげる。
    後の方に配慮して、ロウソクは上段から順に、線香は中央から立てる。
    他人のロウソクから火を点けない、その人の「業」を貰うとされている。
  7. 本堂、大師堂備え付けの鐘を打つ。
  8. 納札、写経を納める。
  9. 合掌のあと心静かにお経を唱えます。
    経本を必ず手にして読むのが正しい作法です。
    「経を読むのにたとい暗ずるとも本を看るべし」
    後に続く参拝者の妨げとならないよう正面を避け左右によって行いましょう。
    読経は「緩ならず急ならず、低からず高からず」といって中庸の声を出して淡々と唱えます。
  10. 霊場を去るときは、山門を出るに際して、本堂に向かい一礼してから次に向かいます。

読経の順番

  1. 合掌礼拝(胸の前で合掌し三礼しながら)「うやうやしくみ仏を礼拝したてまつる」と唱える
  2. 開経偈:一返
  3. 懺悔文:一返
  4. 三帰、三竟、十善戒:一返
  5. 発菩提心真言:三返
  6. 三摩耶戒真言:三返
  7. 般若心経:一巻
  8. 御本尊真言:三返 ←本堂のみ
  9. 光明真言:三返
  10. 御宝号(南無大師遍照金剛):三返
  11. 回向文:一返

「ありがとうございます」と述べ、合掌一礼して退去します。

これは定式ではなく自由な形で行われますが、般若心経、御宝号だけは欠かさないように。

本堂に次いで大師堂でも御本尊真言を除き同じ読経を繰り返します。

 

新四国曼荼羅霊場 記念数珠

2019年1月から始めた新四国曼荼羅霊場 巡礼

約1年9ヶ月で満願しました

ラリー帳は、伊予13佛にもなっている香積寺で入手
ラリー帳には、20周年記念行事と書かれてました
既に30周年記念事業の徒歩練行が始まってましたが、結果的には問題なしでした

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各霊場で100円で札番印を押してもらいます
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全ての札番印が揃ったので、ラリー帳と200円分の切手を入れて、3番札所 不動院に郵送
(30周年のラリー帳は、360円切手、送付先は願勝寺との情報もありましたが、ラリー帳に記載のある内容に従います)

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1週間後、68番 願勝寺から、記念数珠が届きました
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入っていたのは、30周年記念数珠
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ラリー帳には、満願の日付と御朱印か押されて同封されてました
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45番 奥の院 逼割(せりわり)行場

四国八十八ヶ所霊場 45番 奥の院 逼割(せりわり)行場

本尊:白山妙理大菩薩

45番 岩屋寺の納経所で、『奥の院』へとお願いして300円を払い、納め札と逼割行場の入口の鍵を受け取ります。
三十六童子と番外札20枚の計56枚で、順番に納めながら上って行くと逼割行場の門に到着します。
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大師堂の奥にある仁王門横の案内看板
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仁王門を抜けると、早速、右側に1番が見える(赤い札が納められている所)
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札と座台の名前が一致していることを確かめて札を納める
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ココは、一度、左に進んで、戻ってくる
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左に曲がると奥に童子が見える
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次は、不動明王の札だが、正面に見えるのは不動明王では無かった
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左の曲がって、一番奥にあるのが不動明王
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56枚の札を納めて、逼割行場の入口横の大きな不動明王に到着
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逼割行場の入口
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目指す場所は、この岩の頂上
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逼割行場の注意事項
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入口の南京錠を解錠して中へ進む
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門を開けると、正面に岩の裂け目が現れる
この割れ目を登る
初めは傾斜が少し緩やかだが、手で岩を掴みながら出ないと登れない
後半は鎖を使い登る
ちなみに、下りは、この鎖が無い場所が一番苦労した
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岩の割れ目を登り切り、裏側の平坦な道を進む
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平坦な通路の先にあったのは、石鎚山並の鎖場
しかも2本の鎖が、妙に絡まって、使いづらい
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鎖場の次は急傾斜の梯子
幅も広く登りやすいが、所々、腐っているところを補強しているので、強度を確かめながら登る
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頂上に「白山大権現」の祠
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反対側の頂上には、お大師様の祠
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納経所に戻り、頂いた奥之院の御朱印
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34番 奥の院 本尾山

四国八十八ヶ所霊場 34番 奥の院 本尾山

山の斜面に作られた簡素な堂に薬師如来(薬師瑠璃光如来)が祀られている。 以前は大師が一晩で刻んだとされる薬師瑠璃光如来像が安置されていたと伝わるが、戦後の混乱期に盗難に逢い、現在は薬師瑠璃光如来を模した石仏が安置されている。 納経は種間寺で行なっている。ただ、以前は御影の授与があったが現在は無い。

川沿いの巨岩と黄色い看板が目印
駐車場は無いので、少し手前の少し道幅が広い場所に路上駐車

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入口
写真で見える階段を登ると槇の木が3本
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3本の槇の木
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奥の院の石碑
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巨岩の前に小屋
奥の院は、この中
初めは、扉を開けても良いのか少し躊躇
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扉を開けて左側に照明のスイッチがあったが、スイッチを入れても点かなかった
扉の正面に「弘法大師のもたれ岩」
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御朱印は、種間寺で頂ける
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36番 奥の院 波切不動

四国八十八ヶ所霊場 36番 奥の院 波切不動

弘法大師は延暦23年唐に渡り、長安の青龍寺で恵果和尚より真言密教の奥義を授けられ、真言八祖となられた。
帰国にあたり恩師報恩の為、一宇を建立したし、最勝地に留まれ。と独鈷杵を日本に向かって投げられた。
後に当地の古松にかかっている独鈷杵を感得され、ここに一宇を建立、寺号を『独鈷山青龍寺』として、不動明王の石像を安置された。

奥之院の場所は、青龍寺を通り過ぎ、横浪黒潮ラインの途中で、国民宿舎『土佐』の方に入って行くと事前に確認していたが、国民宿舎『土佐』(2017年閉店)が、リゾートホテル ヴィラ・サントリーニに変わっていて、入口を一度通り過ぎてしまった
引き返して、入口から少し進んだところに、奥の院の駐車場と入口があった

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奥の院 入口
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少し進むと奥の院に到着
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境内は、土足禁止との事
側にサンダルがあったので、履き替えて進む
下駄箱の横の札の文字が消えていたので分からなかったが、素足で参拝するのが正しい事は、後日、分かった
どうもこの札には「鳥居より先、素足にてお入り下さいませ。雨天時は、お履物、履き替えお願い致します」と書かれていたようだ
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奥の院:独鈷山不動堂
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不動堂の両脇に、天狗?河童?修験者?f:id:prodigal04:20200926182629j:image
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新四国曼荼羅 57番 観音寺

新四国曼荼羅霊場 第57番

山号:無量山
宗派:真言宗智山派
本尊:聖観世音菩薩
ご詠歌:補陀落や 岸に寄せ来る 白波の 返すがへすも 誓い頼まん
住所:高知県須崎市大間西町12-2

寺伝によれば、聖徳太子が四天王寺を建造するために百済より仏師や工匠を招聘した。敏達天皇15年(585年)、その帰途で須崎沖で台風に遭い須崎湾に漂着した。一同が観音像を刻み、この地に寺院を建立し海上交通の安全を祈願したことが当寺の始まりと伝えられている。

天武天皇13年(684年)10月14日に当地で大地震が起こり須崎湾が大陥没した。この地震により観音像は堂ヶ奈呂に流されたとされる。 その後、平安時代中期の延喜3年(903年)宮ノ中土居山へ移され、戦国時代の元亀3年(1572年)に竹ノ鼻、大正15年(1926年)に現在地へと移転した。

平安時代前期の弘仁10年(819年)頃、弘法大師がこの地をに巡錫した。少年が栗を持っていたので一つ所望したところ、持っていた栗を全て差し出した。大師は少年を誉め、その栗の木を祈念した。すると一年に三度実をつけるようになったという三度栗の伝説が残っている

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本堂は、階段を登って2階にありました
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三度栗の木
結構大きい
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御朱印
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新四国曼荼羅 58番 峰興寺(ほうこうじ)

新四国曼荼羅 第58番 峰興寺

山号:金峯山
宗派:法相宗
本尊:文殊菩薩
ご詠歌:御嶽山 真如の月に 照らされて 佛の知恵は 峰興寺
住所:高知県高岡郡越知町越知甲1633 

開基は徳川家康の異母弟、松平定行である。三河國から密上演浄禅師を迎えて開山したと云う。元は松山にあった。藩主の菩提寺として栄えていたが排仏毀釈で衰退、名跡を 惜しみ明治の中頃、官許を待て当所に移転再建したもので県内外の信仰は知恵の文殊であるが、加持祈祷の専門道場として名高く人々の心の支えと成っている。
旧六月二十四日(本年は七月廿五日火曜日)の文殊大祭は柴灯大護摩を勤修し越知町夏の夜祭りとして有名である。

山門
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本堂
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一言観音菩薩
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御朱印
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新四国曼荼羅 59番、32番 奥の院 薬師寺

新四国曼荼羅 59番 薬師寺
32番 奥の院 岩屋観音堂

山号:岩屋山
宗派:真言宗豊山派
本尊:薬師如来
ご詠歌:みな人の 病みぬる年の 薬師寺 瑠璃のくすり あたえめしませ
住所:高知県高知市介良丙1832

平安時代末期、平治の乱で敗れ土佐国介良荘に流罪となっていた源希義が、同母兄頼朝の挙兵により平家より謀反の嫌疑をかけられ討たれた。希義の師であった琳猷上人は、その死を悼んで寺院を興し希義の念持仏を安置したといわれる。これが当寺院の始まりであると伝えられている。

岩屋観音堂 : 本堂の段を更に約20分ほど登った山頂近くにあり、このお堂は四国八十八箇所 第32二番札所 禅師峰寺 奥の院とされている。本尊は十一面観世音菩薩。

平地にあると思いこんで、近くになっても建物が見当たらず、しばらく付近をウロウロ

少し離れた場所から山を見ると上の方に続く階段と建物が見えて、納得

下の駐車場に車を停めて、長い階段を登る
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登りきった所に、厄除修行大師像
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本堂
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新四国曼荼羅の御朱印
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新四国曼荼羅 60番 閑慶院(かんけいいん)

新四国曼荼羅霊場 第60番

山号:吉峰山
宗派:曹洞宗
本尊:阿弥陀如来
ご詠歌:童謡の調べに和する鐘の音は 吉あり慶あり道ひらくてら
住所:高知県安芸市井ノ口乙2029

創建年代は明らかではないが、永録年間(1558~70)浄貞寺三世昌岩天久大和尚を勧請してご開山とした。
幕末維新後、大政官布告(明治初年)による廃仏没釈風潮の高まり に、県下寺院のほとんどが廃寺となり当寺も例外ではなかった。 時の住職泰心和尚が死守やがて檀徒岩崎家(三菱創業)の興隆を背景に大本山永平寺第六十―世環渓密雲禅師を復立開山に拝請し明治十六年三月大本山水平寺御直末寺院として再興のスタートをき った。 岩崎美和刀自(弥太郎・弥之助の母)の死(明治三十年三月) 弥太郎十七回忌にあたり追善供養のため、本堂・鐘楼堂・山門建立資金が寄進され明治三十四年に現在の堂宇ができあがった。
初代凡鐘の供出・終戦・農地解放等々幾多の困難を岩崎家はじめ檀信徒各位のご協力により克服凡鐘再鋳・堂宇修復を重ね現在にいたっている。

入口にあった樹齢600年の椋(むく)の木
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本堂
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御朱印
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