補陀洛山 清浄光院 志度寺
本尊:十一面観音菩薩
本尊真言:おん まか きゃろにきゃ そわか
ご詠歌:いざさらば 今宵はここに しどの寺 祈りの声を 耳に触れつつ
本寺の縁起によると、志度浦にたどり着いた霊木を凡薗子尼(おおしそのこに、智法尼とも)が草庵へ持ち帰り安置し、その霊木から本尊(十一面観音)を造立し、堂宇が建立されたという。創建は626年(推古天皇33年)のこととされている。681年(天武天皇10年)には藤原不比等が堂宇を増築し、「死度道場」として名づけたという。不比等に関わる「海女の玉取り」伝説は謡曲などでも知られる。また、693年(持統天皇7年)には不比等の子・藤原房前が行基とともに堂宇を建立し、寺名を「志度寺」に改めたと伝えられている。
室町時代には四国管領の細川氏が代々寄進を行い繁栄するが、そののち戦乱により寺院は荒廃する。藤原氏末裔の生駒親正による支援などを経てのち、1671年(寛文10年)、高松藩主松平頼重の寄進(本堂・仁王門)など、高松藩主松平氏により再興された。
1962年(昭和37年)に重森三玲による枯山水「無染庭」が造られている。
【2016年 逆打ち 遍路バスツアー】
今回のバスツアー最後の札所:志度寺
意外に境内は広く、五重塔や閻魔堂、奪衣婆堂があり、境内をウロウロしているだけでも、なかなか楽しかった
閻魔堂の閻魔様の頭には観音様が10体のっている
開帳時ではなかったけど、ガラス越しに閻魔様を見ることが出来た
奪衣婆堂の奪衣婆は、三途の川のほとりにいて、亡者の着物を奪い取る鬼婆
バスツアーなので、ゆっくり境内を見て回る時間がなかった
次回は、ゆっくりしたい
奥の院を参拝した時の記事