五穀山 神野寺
本尊:薬師如来
御詠歌:ちまちだに いまもそそぎて のりのしの 恵みあふるる 満濃の大池
伝承によれば、平安時代前期の弘仁12年(821年)空海(弘法大師)が嵯峨天皇の勅命により満濃池の修復を行ったさい、池の守護として建立したという。なお、空海が護摩法を修したと言われている満濃池の中にある場所は護摩壇岩と言われている。
中世に入ると、寺は当地の豪族であった矢原氏の保護を受けて隆盛するが1581年(天正9年)、戦国大名の長宗我部元親が矢原氏を攻めたさいの兵火に遭って全焼し、長い間廃寺となっていた。なお、当時の本尊であった聖観音立像は近隣の恵光寺に運び出されて祀られたという。
1932年(昭和7年)上里法照を中心に満濃大師会が結成された。空海入定1100年祭の事業として満濃大師会により神野寺の復興が計画され、1934年(昭和9年)に伽藍が完成した。のち、1955年(昭和30年)に満濃池堤防第3次かさ上げ工事が行われることとなり、本堂が現在地に移築された。
【2016年 逆打ち 車遍路】
別格15番札所 箸蔵寺の後は、国道32号線で北上して、別格17番札所 神野寺に向かった
山門はなかった
本堂で納経した後、大師堂を探したけど、結局、大師堂はなかった
その代わりに弘法大師像があり、その前で、ロウソク・線香・納経
納札箱はなかった
納経所で御朱印を頂いて、珠を買った