タクボンのお遍路日記

2016年、車で逆打ちで遍路。2017~2018年、休日歩き遍路で結願した時の記録を残しています

新四国曼荼羅 33番 清楽寺

新四国曼荼羅霊場 33番
四国88ヶ所 60番 前札所

山号:仏生山
宗派:高野山真言宗
本尊:阿弥陀如来
所在:愛媛県西条市小松町新屋敷甲1876

聖武天皇の勅願、行基菩薩の開基、越智玉澄の開創とされる。
寺伝によれば、行基菩薩が当地を巡行した時、西方から光明が輝き、阿弥陀如来が表れて土中に入った。これを見た行基菩薩は、自ら阿弥陀如来の尊像を刻み、一宇を建立して安置した。これが当寺の開創であるという。法寂律師が住持の時、弘法大師が留錫し、真言の秘法を授けたと伝わる。
『小松邑誌』には、元は北川村にあり、密厳寺と号したという。兵火にかかることたびたびであったが、その都度、伊予の国主・河野氏の外護により再建された。天正の兵乱の後、元和元年(1620)快音上人が密厳寺・仏生寺を併せて現在地に再興し、清楽寺と号するようになった。江戸時代には小松藩主・一柳氏の帰依を受けた。
明治初めの神仏分離により、横峰寺が廃寺になった際、弘法大師ゆかりの寺であることをもって60番札所とされた。その後、明治12年(1879)に横峰寺が大峰寺として再興されたため、明治18年(1885)協議の上で札所を大峰寺に戻し、清楽寺は前札所と定められた。
ここで、なぜ決着までに時間がかかったか、というより、なぜ18年に決着したかということについてヒントになると思われるのが、同17年(1884)本来の前札所である妙雲寺が火災に遭い、廃寺となっていることである。妙雲寺を再建せずに前札所を清楽寺に移すことで決着が計られたのではないかと推測される(後に妙雲寺は再興され、60番前札旧跡を称している)。
本尊脇侍の観世音菩薩は「ひとこと観音」と称される。小松藩第三代藩主・一柳頼邦の母が内臓疾患を患ったとき、当時の住職がひとこと観音に祈願したところ、あらたかな効験があった。以来、内臓疾患、特にガン封じの霊験で今も広く信仰を集めているという。元は仏生寺の秘仏であったともいう。
また、一柳頼邦は、母の病気平癒祈願成就の奉賽として、古銭を集めて鋳造した観音像(元銭観音と称される)を奉納した。

2016年の歩き遍路をしている時にも参拝しているが、番外用の御朱印帳が重く、持ち歩くのを止めていた事から改めて参拝。

新しく綺麗な本堂

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新四国曼荼羅霊場御朱印
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